日記から戻る


☆- ものぐさ日記帳2000年10月分 -☆



[ 中世と近代、そしてポストモダン ]
今回のトップにある「これらの栄光を我に帰することなかれ、ただ神の御名にのみ帰したまえ」と連動しています。

優れた芸術作品というものは作った人の名前を忘れさせる。それはかつてリルケが述べたように宇宙の沈黙の承認を受けて、この世界に、まるで自然の「物」のように存在できるからだ。

中世の多くの芸術作品は・・・例えば大伽藍や祭壇画のように・・・作った人の名前をもっていない。それでいて私たちを感銘させる。
それは彼らに自己を低めるという神への敬虔さと畏れがあったからだ。その心こそが美しいものを生み出した。

これは「個性」や「自我」の解放に生きた無邪気な近代への強い反省を促すものだと言える。
あまりにもそれらを求めすぎたために芸術は腐敗し、彼らの眼は真実を映さなくなった。

そして現代。前にも述べたかもしれないが、ポストモダンとは脱近代という意味である。これはいかなる時代か。この傲慢な近代への批判であるのか。それとも旧きよき時代への回帰を謳うものなのか。
このことを考えることこそが現代という時代のひとつの大いなる意義であり、そしてまた「次に来るもの」への期待であり、懐疑の念でもある。

私は現代というのは知識というものが一般化された故に一部の者のための思想が語られる時代だと思う。ここで言う一般化された知識というものは我々が義務教育で習う二元論的な思考方法である。

大学受験までは全ては二元論に基づいて語られる。現代文は筆者と問題作成者の2人の視点を追うことで完結し、第三者(つまり我々)の意思の介在を許さない。
そのくせ大学で教わる知識は「これら」以外のものを必要とする。この体質を知識の偏在といわずして何と言おうか。

時代はおそらくまだ続く。これから先この体質が変わること・・・いや、私が変えるという傲慢を時代が許すならそれもいいだろう・・・を期待する。
2000/10/30(月曜日) 晴れ


[ words for today ]
というわけで今日のひとこと英語版(なじょ
なんとなく今日は気分で英語が書きたいのである。解説つきでいってみよ〜!
People with a defective gene may never be sick,but they might be fired...just in case.

アメリカの企業では遺伝子テストを受けさせられる。そして、その結果問題のある遺伝子が見つかると、クビになったり就職を取り消されたりするわけである。そう、時にはまだ発病していなくてもだ。
そして親が病気であっても同じようにされることすらある。本人に遺伝するかははっきりとしないというのに。
最先端の遺伝子工学が生み出した歪み・・・みなさんはどう思うだろうか。

2000/10/25(水曜日) 晴れ


[ 忙しい。 ]
俺も毎日受験勉強で暇なようで割と忙しい。しかしそれ以上に最近働いているのは親とこのパソコンであろう。

我が家の家業はマスコミ関係・・の下請け。ここのところの仕事は昔のTBSドラマ「最後の恋」というものがDVDになるにあたって字幕がつくので、それのために原稿をタイプするというものだ。

で、これが当然のごとく台本と実際のセリフは違うので、リスニングして、そこから1行12文字までという制約の中でまとめていくわけである。並大抵の苦労ではない。
しかも仕事の期限がおそろしく短い。ここのところ1日に8時間は動いている。

うちの親はもう50代半ばを過ぎている。にも関わらず数日間徹夜を強いられる・・・なかなかにひどい社会だ。
そのために俺が借り出され今もこうして日記を書く傍らで原稿を書いているのであった。

・・・結論。そのために自分の小説書く余裕はありません。あしからず(言い訳)
2000/10/23(月曜日) 雨


[ 人種差別、そして日本 ]
アメリカでは南北戦争の結果として北部が勝ち、奴隷制が廃止された。だが、それは倫理的な面から奴隷を廃止しようとしたわけではない。奴隷は消費者になれないからである。

資本主義においては安い賃金で働き、そして商品を買う者が必要となる。商品が売れないことには資本主義は成立しない。その売れた商品を元にさらに事業を拡大するのが現代資本主義であるために、収入を持たない奴隷という存在は邪魔なのだ。

産業革命に成功したイギリスの製品が大量に流れ込んできている時代はアメリカは資本主義の発展を邪魔された。砂糖税や茶法などの保護関税によってアメリカは一方的に消費者であった。

南部と北部の対立点にも言及せねばなるまい。北部は産業を発展させるために保護関税を、南部は奴隷を使ったプランテーション作物を世界に自由に輸出するために自由貿易を求めた。
そして13州以外の州が出来る際にその州の主義を住民投票で決めるという法律が元凶となって南北戦争がはじまる。現代を決めた戦いといっても過言ではない。

その結果として初めに述べたように奴隷制は廃止された。しかし彼らの苦しみはここから始まるのである。

一見すると奴隷でなくなった人々は幸せのように思える。だが、今までは奴隷は奴隷であることを当然とされ、特別な差別を受けることはなかった。しかしこの結果として奴隷達は自分で金を稼いで生きていかなくてはならなくなったのだ。奴隷であることではなく奴隷であったことがよりひどい差別の対象となったのである。

そうしてほとんどの奴隷はプランテーションで今度は土地を借りて耕作をしなくてはならなくなった。そうでないものもまた都市部で賃金労働者として差別の中で生きていかなくてはならなかった。

アンシャンレジューム(旧制度)がなくなろうとも人の差別はなくならなかったのだ。これほど哀しいことはない。
それどころか今度はKKKなどの白人至上主義者に狙われるなど、新たな恐怖にすら悩まされることになったのだ。

人種差別というものは不況の時ほど一気に噴出す。失業者アレルギーであるアメリカでは先のKKKが、ナチスドイツではユダヤの迫害が過去の事実としてあり、そして今も根強く残っている。

次は日本でないという保証がどこにあるのか。もともと外国人の嫌いな日本だ、関東大震災の時の韓国人虐殺のような事が起こらないとは言い切れない。

人は愚かだ。同じ人間が争う歴史はこれからも繰り返すだろう。だが、それでも私達が常に理性を持って行動し、それらを食い止めることは・・・例え少しであっても・・・出来るはずだ。

救いようがない世界こそが現実ならそれすらも飲み込んで生きるしかないのだ。なぜ人を殺してはいけないのかなどと問う愚かな者がいるが、今一度己の中の誇りに問い掛けてみてはどうだろうか。
「おまえはその程度のつまらない人間か」・・・と。
2000/10/17(火曜日) 晴れ


[ 怪現象 ]
最近自分のパソ部屋に使用済みの靴下が大量に溜まるという事件がおきている。
というわけでこの謎を解くべく推理を重ねてみた。

以下回想・・・
先週の月曜日:塾から帰ってきてパソコンをいじるべくパソ部屋へ。着替えるのも面倒なので上着とズボンだけかけて向かう。
まだまだ寒い季節ではないのでうざったいから靴下を脱ぐ。そしてそのまま放置して風呂に呼ばれる。そして何もせず就寝。

火曜日:先週の月曜日:塾から帰ってきてパソコンをいじるべくパソ部屋へ。着替えるのも面倒なので上着とズボンだけかけて向かう。
まだまだ寒い季節ではないのでしゃらくさいし靴下を脱ぐ。そしてそのまま放置して風呂に呼ばれる。そして何もせず就寝。

水曜日:テスト期間なので帰ってくるのが早い。だが外に出る気も余裕もないのでTシャツとパンツを残して全部脱ぎ捨てる。そのまま仮眠を取って勉強へ。

以下略&回想終わり・・・

おお、謎は全て解けた!犯人は言うまでもなく俺自身だ!(核爆)
・・・長々とすいません。ちゃんと片付けますから安心してください・・・
2000/10/15(日曜日) 雨


[ 18禁ゲームの対象年齢 ]
が最近下がっているような気がしてならない。

パソコンを買った目的のひとつはもちろんアレなゲームをやるためだ(爆死)
CGはどんどんきれいになっていくし泣かせる話も多い。俺の哲学の足しになるものもある。

だがどうもこれらは恋愛を経験したことのない、もしくは経験の浅い人間向けだと思う。
かくいう俺もたいしてそれがあるわけではないがそれにしたって青年誌のコミックを読んでもそのレベルの低さはわかる。

最近柴門ふみの東京ラブストーリーを読んだ。あかん。おもしろすぎる。

まあもともとあれの目的はエッチだけだからそれでいいんだろうが・・・もう少し踏み込んだオトナの恋愛を描いたものを希望したい。
それとも作ってる連中も経験が足りないのかもなあ・・・てか男が描いた恋愛ものもたいていはたいしたことないし。ラブ○なとか(核爆)
ないんなら俺が創るか・・・結局ないものは自分で作れという結論に行き着くのであった。

2000/10/14(土曜日) 雨


[ あまりにも哀しい存在へ・・・ ]
人は必死にその一生を生きて、そして死んで誰からも忘れ去られ、自らもまたその存在を消す・・・あまりにも儚くまさしく泡沫の夢と消える・・・

だが出来ることなら死ぬ時には誰からも忘れられていたい。誰かに悲しみを味あわせたくはないから・・・

昔俺が思想堂に書いたように誰かが自分のことを覚えている間はこの世界と繋がっていて魂もまたそこにあると思う。
だから、本当は忘れられたほうがいいんだ、俺にとっても、その子孫や友人にとっても・・・

でもそれだけじゃ哀しいよ、やっぱり。誰かに自分の生きた証を覚えていてもらいたい、自分の存在を全て消したくはない・・・

恐い・・・ただ恐い・・・いやだ、死にたくはない・・・消えたくはない・・・

でもひょっとしたら同じなのかもしれない。昔見た映画の中で死の淵からよみがえった男は言った・・・「死のやすらぎと生の光・・・意外だった・・・同じだった・・・」と。

結局その瞬間が訪れるまで人間は何もわからないのかもしれない。死という名の究極に辿りつくまで・・・
2000/10/13(金曜日) 晴れ


[ ボクと一緒にお茶の水女子大学に行ってくれる方募集(核爆) ]
いや、別に女子大という響きに惹かれるとかじゃないんすよ、ホントに(笑)
実はここの哲学の教授の土屋賢二という人が昔からおもしろい文章を書く人で、大ファンなんだな、これが。
で、11月11日のぎいん(字が出ない)祭(文化祭みたいなもの?)で教え子の柴門ふみと対談をやるというので是非行ってみたいのです。

そこで!俺ひとりで行くのはなんか犯罪者チックなので一緒に行ってくれる方募集!・・・となったわけです。(ヲイ)

この柴門ふみさんの書く漫画もまたおもしろいんだよね・・・同・級・生とか。てか俺の思想が偏ったのはこの方々のせいかも(^^;

ちなみに彼女のPNはご存知SIMON&GARFUNKELから。というわけで彼らのファンのグラ君、巻き込まれましょう(爆)
2000/10/12(木曜日) 晴れ


[ う・・・む。 ]
ここのところ休日にちゃんと休まず引きずりまわされたせいか疲労がたまっていたのだろう、午後11時半に寝て起きることが出来たのは翌午後2時だった。
正味14時間半も寝ていたことになる。う〜む・・・少し休日の使い方を考えよう・・・というか俺を巻き込まないでくれ、休みの使い方が下手な日本人よ(^^;
2000/10/09(月曜日) 晴れ


[ オフ・・・ ]
朝5時。蚊のはばたく音に不快な目覚めを要求されて非常にテンションの低い俺は東京駅を目指して家を出た。

目的は当然のごとくオフ会。今日の参加予定者はヒジリとぐっち〜とJUN、それにいつもの人々(chico&タスク&馳&グラ君)であった。・・・のだがぐっち〜とヒジリ、そしてchicoは何を思ったか1時間以上遅刻。何やってんだヲイ(^^;

その間に場外馬券場で今週も馬券を買ってしかも敗北したというちょっとした事件があったが、それはまあさておき。

その後JUNの車に俺らは缶詰。ヒジリはぐっち〜の車でお台場に向けて移動。予定どおりヴィーナスフォートにたどり着く。

そこでの出来事はあえて語るまい。長くなるし面倒だからだ(ぉ

そんなこんなで何度か死線を彷徨いつつも俺たちはいつものオフ集合場所→金欠→勝手知ったる池袋へというコースを辿ったのであった。
何はともあれ参加者のみなさま、お疲れさまでした。


2000/10/08(日曜日) 曇り


[ 椎名誠来襲 ]
今日うちの学校にあの椎名誠先生が講演をおこなった。彼は昔学校の近所に住んでいたらしく、そのよしみではないだろうがうちのような無名校(?)にそんな有名な人が来るのは珍しい。

・・・非常におもしろかった。椎名誠はいわゆる落ちこぼれであったが、その生き様、そして友人との関係は・・・どこか誰にでも通じるところがあり、そしてどこかうらやましいものであった。

結局俺が普段から言っているように人の一生はいかにすばらしい友人にめぐり合えるかである。沢野ひとしという画家がいるが、その男がまたひどいもので学がなく、なんと大学生でひらがなの区別がつかなかった。

それが暴露された話もまた楽しい。学生時代彼らは金がなく酒は買えても肴が買えなかった。
そこで絵のうまいものがそれを描いてそれを肴にして呑もうとしたのだ。
端から見ても狂気の世界だが、それを語る椎名の語り口がとても楽しそうで本当にうらやましいものであった。
・・・少しわき道にそれたがそこである時「そば」の絵を描こうとしたときに事件が起こった。
その後画家になるから周りよりはうまきにせよその当時の沢野のそばの絵はカツ丼だかそばだかわからないものだった。そこで但し書きをつけたときにたぬきそばが「たねきそば」になっていたのだ。
・・・そして今度はきつねうどんと書かせた。そると今度は「きつぬうどん」・・・つまり彼の中では「ね」と「ぬ」の区別が逆だったのである。
椎名誠は語る。「たしかに彼は学がない。僕も不良だったしそんなものはない。ただいつも授業中は小説を読んでいた。
共通点がある。それは感受性だ。周囲に言わせればそれが僕にはあるらしい。そしてそれが彼にもある。だから彼の書く文章(一昔前に朝日新聞で連載をしていた)は人に感動を与えるんだ。」
そして彼がしきりに言っていた言葉は「バカ」。友人をバカよばわりというのは一見すごいことのように聞こえるが実際すごい。だがこの真のすごさというのはそうしてバカ呼ばわりできるほどにお互いの信頼があることだと思う。

親と子の関係についても考えさせられた。彼に言わせれば親というのはさっさか「捨てて」いいものらしい。
いつまでも「捨てないで」などと言っている親から離れて暮らすことで逆に関係が良くなる。なぜならいつもいっしょにいるわけではないから親を大事にするようになる。もともと親なんてものは踏み越えて先に進むものである。そんなものがいつまでも子どもの足を引っ張っていいわけがない。

近年の物書きやエッセイストというのは極論が多い。だが彼の書く文章、そして彼の言葉は確かに「事実」そして「実際」の世界を描いている。そのことを改めて感じさせられるのだった・・・

こうして俺は椎名誠の「黄金時代」を読んで以来の感動をまた味わった。おそらくこれからも俺は彼の書く文章に感銘を受け、影響を受けるのだろう。


追記・・・これはPTAのための講演だったので学生である俺は勝手に潜り込んだためにこの後こっぴどく怒られた。こうした旧制度というか妙なしがらみを捨てられればうちの学校ももっとマシになるだろうに・・・ってよく考えると受験生なのにそんなものを聞きに行った俺も俺か(^^;
あと・・・今日の2時間の講演料は70万円だったらしい。事務所の収入にほとんどがなるから仕方ないとはいえ現実を見せられたのが悲しかった。
2000/10/07(土曜日) 晴れ


[ どうでもいいこと。 ]
俺の自転車には名前がある。デュライハンダーという名だ。
某ゲームにアインハンダーというものがあり、このアインはドイツ語で「1」を表す。同じように剣の名前でツヴァイハンダーというものがあってそれは「2」を表す。
で、俺の今の自転車は生まれてから乗ったものの3代目なので「drei」というわけ。ほんとうはドライに近い発音だけどデュライのほうがかっこいいのでこうなった(ぉ

物事にこだわりを持たないと人生おもしろくない。・・・というのは言い訳でチャリに名前つけるのは趣味だけどね。某漫画の影響か(^^;
2000/10/02(月曜日) 晴れ


[ みなさまありがとうございました。 ]
おかげさまで第一回親睦チャット大会を無事終えることが出来ました。
参加者は慟哭、小次郎、ゆうちゃん、ミサイル、パタモン、ひろねぇ、ぷりんす、ともはん、AKIRA、まろん、るるか、ひさぎ、トロ(順不同敬称略)の13人+俺でした。

またいつかやりたいと思いますので今回参加できなかったみなさま、またその時はお願いします♪

ちなみに・・・ほとんどの人たちが去ったあとでのパタモンとトロと俺の哲学話が熱かった・・・またいつかやろうね♪>おふたりさん

そうそう、今日のスプリンターズSは荒れましたね〜。(やっている人いるのかな?)俺はなんとかワイドで2−9を買っていたため赤字を出さずにすみましたが。
2000/10/01(日曜日) 曇り