[ しわーすっていうとちわーすに似てるね ] でっていう。 今年も年末がやってまいりました。一年間お疲れ様でした。俺。多分誰も見てないから俺。 なんというか珍しく面倒臭い人を二人も引いたハズレ年でした。ここ数年「面倒臭い年上(先輩)にならない」を目標に生きてきましたが、正しい選択だったなぁと思いました。 あえてJOJO風に言うならば「い、言ってもムダというのがこれほどとは!」という奴です。押しが強くて他人の話をろくに聞かない人ほど面倒臭い人種は居ませんね!アスペルガー症候群ではなかろうかと疑ってしまいます。 それにしても言葉を定義するというのは便利なもので、かつては漠然と何か変な印象を受けて、付き合うのが面倒臭いだけで正常の範囲と認識していた人間もアスペルガー症候群患者、と定義するだけで立派な病人に。病気なら仕方ない、諦めて切り捨てようという気になれます。嗚呼、素晴らしき諦観の念。俺が自閉症じゃないのこれ。 年々人付き合いが面倒臭くなっていく気がします。 もう一緒に居て負荷がかかる人間と付き合いたくありません。 近頃こー、LOWの最大の敵はLOWだなぁと感じます。メガテン的な意味でもタクティクスオウガ的な意味でも。 CHAOSは基本的に自分が好き勝手やってる分他人が好き勝手やっていても余り気にしません。秩序を押し付けがちなLOWと一見対立しているように見えますが、それも意見の一つ、と主張するだけならタダみたいなノリで受け入れたりもします。自分でやるかどうかは別問題ですが、さほど深刻な対立にはなりづらい傾向にあります。 NEUTRALは基本的にLOW寄りですが、最大の特徴はその許容範囲の広さと適応力にあります。出る杭は打たれる、長いものに巻かれろの精神を持ちながらも何かに偏る事がありません。突出せず、かつ使い分ける。上手い、と思います。 最大の問題はLOWで、秩序を重んじ、神に仕える者というイメージがありますが、実はよくよく見てみるとLOWとは ・神の法よりそれを「解釈した者」の法を尊ぶタイプ ・わかりやすく言えば自分のルール>社会通念>>>他人のルール だったりします。 これが非常に曲者で、比較的生まれ育ちが近いLOW同士は何も問題がないんですが、当然価値観は人それぞれ、千差万別なわけで・・・法(広義でのLOW)の解釈がかけ離れたLOW同士というのはものすごい負荷がかかるんですねぇ。 そこから!?そこから説明しなきゃダメか!?といった事件が起こりがち。 例として (記号は知識単品、計算式はそこから導き出されたLOW) A+B=CとDというLOWで生きているXさんが居たとします。 その人とA+B+C=DというLOWで生きているZさんが居たとします。 さてこの二人。話が合うでしょうか? DがA+B+Cであるという事を知らず、二つのルールを別々に持つXさんとCがA+Bである事を知らず、一つしかルールを持たないZさん。すれ違います。持っている手札(知識)は同じなのに噛み合いません。否、同じなだけにさらに多くの説明が必要になります。 この二人が会話した時の噛み合わなさはアスペルガー症候群の症例に似ていますが、個人的には別物だと思います。ある意味当たってもいるんですが・・・お互い知能障害が無いだけにこうなってしまうんですねぇ。それを争いの種としてはいけない、と教えてくれた友人が居なければ自分も或いは・・・と思いますが。 長い上に若干わかりづらくなってしまいましたが、知識の総量は大事だけど、それ以上に価値観の多様性を己の中に持つほうが肝要である、というお話。まぁそれが出来るLOWはLOWではなく最早NEUTRALなんですが。 ってなんでこんな話を年末に!ブランク・・・長いです・・・がある意味いつも通りでした・・・ そして今年もいつも通りにぐだって終了。相変わらずというかこんなサイトですが、来年もよろしくお願い致します。 2010/12/31(金曜日) [ あの日の僕とかつて天使だった彼と ] 人の営み どうして終わらないんだろう こんなにも苦しんで 悩んで それでもいつかは死んでしまうのに なんで皆生きているんだろう 時の流れが呼ぶからだよ ・・・何を? 進化さ 進化? そう 進化 考えてもごらんよ あの日の僕達と今の僕達 こんなにも溢れ出る言葉が変わっているじゃないか 人と 人の生み出したモノ 全ては時の流れと共に育まれ 進化していくんだ 君のそれは死への恐怖なんかじゃない 変わっていく事への怯えなんだ 怖くちゃいけないのか 怯えちゃいけないのか 自分が別のモノに変わっていくのが怖いのはいけないのか その感情さえも時が飲み込んでいく 僕にはそっちのほうが怖いかな ようやくヒトに成れて ヒトに慣れて 新たな感情が迸り何かを語りたくなる 今の僕の情熱 それが時の流れに熱を奪われ 動けなくなってしまう事のほうが怖いよ いいかい 変わっていくのが怖いのは当たり前 死ぬのが怖いのも当たり前 だけどそうして萎縮したせいで出来なくなった何か 出来たかもしれない何か そう 未来を自らの手で閉ざす そんな己の業のほうがもっと怖いよ 囚われるなって事? そうだよ だってほら 今僕達は こんなにも自由じゃないか ああ そうだね 変わってしまったモノも 変わらないモノも 全てが飲み込まれていくなら せめて心だけでも自由でいなくちゃならないよね 2010/11/18(木曜日) [ あるいは、それとも ] わかっているようでわかっていない、くらいがちょうどいい。 わからないようでわかっている、でもいい。 わかってしまうと面倒事を背負い込むハメになる。 わかっている事をわかられてしまうのが最も面倒臭い立場に追い込まれる。 とはいえわかっていないと仕事にはならないのだが。悩ましいものだ。 蛇足、本当に蛇足だが、この場合の『わかる』とは分かる、でもいいし判る、でもいいし解る、でもいい。 2010/10/14(木曜日) 晴れ [ 或る日の俺ら ] 俺: 現地の○君(現在台湾駐在になった同期)、いったい台湾は何処へ行くんだい? http://www.microsoft.com/taiwan/silverlight/ 現地の○君: うーんアレだ、特攻の拓風ににいうなれば “マジメ”こいて“いじめられっ子”だった 台湾が "兄弟(ブロウ)(日本)の”萌え”に魅せられ "スピードの向こう側"に棲んでいるワケだ 普段リアルタイムチャットに慣れているせいか即興ネタばかり上手くなる我々ですが、たまにはじっくりとメールを書いてみるというのも良いな、と思いました。というかそこで今更特攻の拓かよ!と特攻(ブッコ)みたくなりました。そんな日。 そんな日。が俺の中で流行っている時期かもしれません。そんな日。否、そんな日々。 とりあえず煙草が値上がりになりましたねぇ・・・結局8カートン買い溜めしました。してから「あれ、それこそ台湾の免税店でお土産で買ってきてもらえばよくね?」と気付きました。しまった。まぁ1回に2カートンしか輸入出来ませんが・・・(最後に渡航した時の記憶。変わってなければ) そろっと何かをやろうかと考えております。何かって何だってなればそりゃー俺の事なので哲学か小説書くしかないんですが。 哲学少女とストリッパー少年のお話を書こうかなとか意味のわからない事を考えています。逆だと全然ファンタジーじゃなくて多分生々しいのが悩ましい。そっちのほうが断然書きやすいんですが・・・ね。 2010/10/01(金曜日) [ 突撃行軍 ] PS Stroe(PS3からアクセス出来るオンラインで直接ゲームを買えるお店)に高機動幻想ガンパレードマーチが入荷したので何の迷いもなく買いました。お値段は驚きの600円。安すぎる・・・! やっぱり神ゲーだと思います。今やっても異常に面白い。睡眠時間がマッハですよ。そういえばこれももう10年くらい前のゲームなんですね・・・時の流れが速すぎるようなそうでもないような。 久しぶりなせいかファーストマーチの出撃の多さに若干辛さを感じます。毎日整備しないと追いつかないよ・・・!女の子口説く余裕なんて全くありませんはい。 サボると人が死にますからねぇ・・・生々しすぎる・・・ 知らない人向け解説 PS1後期に発売されたシミュレーションRPG。プレイヤーは異世界から迫り来る化け物、幻獣によって滅びかけた世界・・・における一介の軍人兼高校生。人型戦車を操り世界を救うために戦・・・わなくてもいい。ひたすら恋愛に没頭するもよし、ひがな一日猫と戯れててもよし、他人の靴下を集める変態になってもよし。異常に自由度の高い、深い世界観を持つ世界の中で己の目的のために生きるワールドシミュレータ。 2010/09/27(月曜日) 晴れ [ 空気が変わってない ] 日記を読む限り素で10年ぶりでしょうか、某ピィBOSS、小次郎、慟哭君とOFF会でした。というかオンラインですらほぼ付き合いがなかったのでOFFと言っていいのかも怪しいレベル。 見た目がだいぶ変わった俺と慟哭君と、まさに十年一日、ほとんど変わってないピィさんと小次郎君の対比がまず面白い。 そして性格的にニュートラルな俺と慟哭君と、言ってる事はそんなに変わってないはずなのにやたらとテンションが高いせいか無茶苦茶笑える小次郎君とピィさんの掛け合いがまた面白い飲み会でした。 10年・・・10年か・・・人に歴史が刻まれるには十分な歳月だったのでしょう。それぞれまさに波乱万丈の10年だったと感じました。 でも。 きっと。 いや間違いなく。 次の10年も変わらず付き合えると思います。 何故かって言われれば・・・それはやっぱり友達だからなんでしょうねぇ。 とても楽しかったです。10年後と言わず近いうちにまた飲みましょう♪ ♪がとても懐かしいよ! 2010/09/17(金曜日) 晴れ [ うおォン ] モノを食べる時はね 誰にも邪魔されず 自由で  なんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで・・・ これだ!と思いました。やっぱ孤独のグルメは良いものです。 稀に店員が仲悪くて雰囲気悪い店とかありますが最悪ですからねぇあれ・・・ 業種を問わず店員というのはあらゆる意味で店の空気ですからねぇ・・・文字通り空気のように邪魔をしてくれない店員が俺の理想ですが。例え面白くても変な応対されるのは嫌なのです。 ただその考えを突き詰めると店員は人間でなくていい、という話になってしまうんですが・・・それもそれでどうかなぁと思う矛盾。 空気になる、というのは実は難しいと感じたそんな日。 2010/09/08(水曜日) [ これは難しい ] 量子力学と特殊相対性理論はコンフリクトする。 特殊相対性理論を元に作られた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」においてはタイムパラドックスが発生する。かつ本来特殊相対性理論におけるタイムトラベルは未来へしか行けない。過去に戻る事は出来ない。それ単体では因果律を覆せないからである。 ところが量子力学をベースとした多次元宇宙論におけるタイムトラベルは移動した先を平行宇宙であるとする事によりこの矛盾を回避する。しかしながら素粒子、並びに粒子加速器の存在により因果律は物理現象においてのみ作用する事が証明されてしまったため、人間という物理的存在のタイムトラベルという因果律に逆らう行為を禁じる。 現在主流となっている時間移動理論はおおよそ11個存在するが、上記のように互いの理論を否定するものが多い。 さらに言えばどれも理論上は時間移動が可能なものの、実証は現実的ではない。少なくとも私が生きているうちは不可能であろう。 さらにこれらの理論全てに一定以上通じている者は恐らく専門家ですら少ない。圧倒的な情報量、実験量は人間の手には余るのだ。 そんなわけで一つの分野の専門家でないどころかただの一般人な俺にはこれらをまともに他人に説明するのは不可能である。という言い訳がしたかっただけー。 まぁ実際因果律はPCの上では簡単に覆りますよねぇ。消したファイルを復元したりファイルの作成日時を未来にしたり過去にしたりなんて簡単な話なわけで。 操作は簡単だけどこの手の話はとても難しいですね・・・ 実はタイムパラドックスに近い事件が量子論で行っても起こるんですが・・・ 1:自分の分身を他の多元宇宙に送り込む 2:え、じゃあ転送元の今の世界の自分はそのままじゃね? っていう。素粒子に分解して転送しても転送先に現れるのは厳密に言えば「別の素粒子で再現したコピー」なので(というかそうでないと二つの世界に同時に同じ物質が存在してしまう)タイムパラドックスが起きない代わりに同じ人間が延々増えるというある意味ハエ男以上の恐怖に。じゃあ転送元をデリートするのか?ってそんなわけにもいかないですし。メールじゃあるまいし。後それってつまり転送先にも復元装置的なものを設置しなくちゃいけなくて、「あれ?そんなもん何処の誰が設置するんだ?」となりやはり未来にしか行けなくなる。過去に送ると構成要素が違うだけの同じ人間が量産される。極めて近く、限りなく遠い世界の過去に転送したとすると「区別が付かない」。これはなかなか難しい・・・ ・・・まぁ全部思考実験の上でしかないというかそれしか出来ないんですが。娯楽ではなく真面目にこんな事を考えている連中の頭の螺子は相当ぶっ飛んでると思いますハイ。 2010/08/27(金曜日) [ あんなに面白かったのに ] どうして目が覚めると夢の内容を忘れてしまうんだろう。否、勿論精神医学的にはそれが健全なんですが。面白そうな小説のネタを夢で見たのにすっぱり忘れているこの苦痛。うがーってなりますねぇ・・・ 大正時代を舞台にした、猫又だけは払わない退魔師と猫又の話だった、までは覚えているんですが・・・詳細がさっぱり思い出せません。起きた瞬間「やべー、これは面白い」という意味と理由のわからない感情だけが残ってました。 まー夢なんてそんなもんですよね。現実逃避してないで、自分の実力で書けるものを書けというお達しなのかもしれません。 2010/07/28(水曜日) 晴れ [ memo ] どうもメール関連のセキュリティをガチガチにしているせいか使い勝手が悪く、簡易BBSとしても使え見る人も少ないここはメモを取るのに最適な気がする今日この頃。 たしかに色々な面でリスクマネジメントは必要なんですが、それで結果的に利便性が失われているケースが多々見受けられます。 そういう意味ではやっぱり壊してもいいPCの存在って大事ですよね・・・アングラサイト巡回的な意味でも(ぇー 2010/07/26(月曜日) 晴れ [ 全ては夢幻の如く ] 「これを言葉にしたらあらゆる幻想は儚くも砕け散る」 きっと僕らは互いにそんな、失われた言葉、忘却れ去られた言葉、そう、まさに『ロストワード』を抱き、飲み込み、隠し持っている。それが優しさなのか、ただの嘘なのか、偽善なのか、それはわからない。 そうした言葉は、それが冗談であれ、本気であれ、相手のために放たれた言葉であれば必ず赦される。友達っていうのはそういうものだと思う。 けれど、それはきっと友達だから言える言葉で。言っていいことで。 それは 僕が彼女に言えないコトバ。 彼女も僕に言えないコトバ。 僕達が、自らの意思で遺棄てたコトバ。 LOST WORDではなくて SCRAP WORD。 だから僕は、やっぱり女の子とは友達にはなれないな。そんな事を思った日だった。 ・・・まぁなんだ。そりゃエロスとアガペーは違うよねっていうだけなんですがね。ええ。いつからお前は神様になったんだというつっこみはさておき。 2010/07/21(水曜日) 晴れ [ 武装神姫が! ] あ、ありのまま起こったことを話すぜ! 『PSP版武装神姫が予想を超えて面白かった』 何を言っているのかわからねーと思うが俺も何をされたのかわからなかった コテコテのキャラゲーとかキモヲタ御用達とかそんなチャチなもんじゃあ断じてねー 版権ものはダメダメな癖にオリジナルだと本気出すコナミさんの恐怖の片鱗を味わったぜ・・・ いや本当によく出来てます。正直侮っていました。 どうせダメ3Dな動きするんだろとか思ってたらバランスとコンボの繋ぎがシビアになったZOEの発展形みたいな仕上がりに。 装備もアーマードコア並に豊富で、武器防具の選択次第で弾幕を延々展開したりガンダムVSガンダムみたいに格闘コンボを決めに行ったり色々出来ます。 フィギュア萌え族だけでなく格闘ゲースキーにもメカスキーにもお勧め出来ると思います。興味があればお試しあれ。 ・・・しかしこれどう見てもエンジェリックレイヤーですよねぇ・・・いいんだろうか・・・ 2010/07/19(月曜日) 晴れ [ かたすとろふとかたるしす ] 全員が幸せになれる世界などというものは実現不可能。 だから皆死んでしまえばいいのに・・・ というのは厨二病すぎると思うんですが。そこは14歳で卒業しないと! しかしながら実行に移す移さないはさておきそういう思考かつ嗜好な人間というのは存在するわけで。これも人類の業という事でしょうか。 ALL or NOTHINGというのは嫌いではないですが、それを適用していい場面とそうでない世界があるのは当たり前なわけで。結局使い分けというかペルソナというか妥協というかフィリアなのかもしれません。ペドを付けてはいけません。あっさりさっぱり。 しかしまぁなんでしょう、ヲタクなのでロリはわからないでもないんですが、やはりペドフィリアは立派な病気だと思います。そもそもの意味としても意味がない。理由もなければ価値もない。性同一性障害もそうですが、少なくとも生物としては壊れていると思います。人間として壊れているかは知りません。俺に実害がなければどうでもいいんですが。 我ながら久しぶりに説明不足だなぁ。説明する気もないんですが。行間を読むスキルが鍛えられまくる文章。0点ですね。 2010/07/14(水曜日) [ 俺は生きている、生きているんだぁぁぁぁ! ] 湿気と気温にやられそうですがなんとか生きてます。 自室でPS3が出来る、というのは良くないですね!一日スパ4で対戦やったりエンドオブエタニティを買ってみたり。流石にそろそろ面白そうなゲームが増えてきましたねぇ、PS3も。睡眠時間ががりごり削れます・・・ それにしても最近あまりゲームをやっていなかった(三国志大戦除く)んですが、その影響もあってかプロジェクトディーバを買ったりくどわふたー買ったり(クドの声がタラちゃんにしか聞こえないのは俺だけだろうか)タルタロス始めたりにわかに周囲が騒がしくなってきた感じ。まぁ一時的なものなんですが。熱しやすく冷めやすいいつものパターン。先月は1ヶ月で30冊近く小説を読み漁ったりしてましたが、今月はまだ2冊。極端なんだよ、やる事なす事!と誰かに怒られそうです。 それにしても最近の図書館は神ですねぇ。映像化された作品ならば何でも置いてあるためやりたい放題です。マルドゥックスクランブルなんかもあったり。天地明察置いてくれるのかなぁそのうち。仕様上在庫に巡り合えるかが相当運に左右される図書館なので文庫になる頃には読めるかなぁ、などと気の長い思いで居ますが。 2010/06/29(火曜日) 晴れ [ バレリーナと福島と ] アメ横が面白い。 ガード下の焼き鳥屋で後輩と飲んでいたのですが、そこでふとした奇縁が。 隣に妙齢の夫婦に見える中年の男女とやたら美人の外国人カップルが座っていたんですが、その片割れのおじさんがその美人さんに話しかけたのがきっかけでした。 最初は隣でなんとなく聞くとはなしにしていたのですが、バレエの講演のため日本に来た英国人であるとかなんとかそんな興味をそそられる話になっていたので混ざっていて意気投合。 バレリーナカップルが帰った後も話をしていました。 色々雑談をしていくうちに出身が同じ福島の二本松である事などから色々盛り上がりました。 それにしても不思議な空気というか、懐かしい空気というか・・・彼らが夫婦ではなく中学時代からの友人であるというのも今考えると納得。男女間に友情は芽生えないなんてのは嘘ですね!あの仲の良さは夫婦では出せないもんなぁ。 何にしても妙なところで妙な出会いがあったものです。10月の4、5、6は福島行きが確定したかもしれません。 2010/06/27(日曜日) 晴れ [ 価格破壊 ] 27型のモニタ(HDMI対応)が3万円っておかしくないですかっ! もう本当ついていけません。安いのはいい事なんでしょうけれど、流石に安すぎてもう何が何やら。 そんなわけで自室でスーパーストリートファイター4が出来るようになってしまったので猿の如く対戦をしております。やめられない止まらない。いえ、負けが込んでくると止まりますが。自制と自省を兼ねて。 ROが終焉の時を迎えそうなので、新規ネトゲ開拓という事でタルタロスなんぞをやっております。なんとか無双っぽい挙動。割合さくさく遊べるので良いかもしれません。 まぁしばらくは三国志大戦があれば生きていけるんですが・・・ 2010/06/23(水曜日) 晴れ [ 2年の重み ] ファイルの移転作業と共に色々自分好みにWindows7のカスタマイズを続ける日々。 XPと比較するとインターフェイス的には細かい違いがあるだけ。ただし、その細かい違いが本当に些細ながら多岐に渡るため慣れるまでとても使いづらい印象。 例えばスタートを押してシャットダウンをしたい時、XPなら↑キーを押せばシャットダウンにカーソルが合うわけですが、7だと→キーだったり、デフォルトだとファイルとか編集とか書いてある例のバーを表示してくれなかったりデザインをクラシックにしてもフォルダ表示やらは新方式だったり地味に面倒臭いです。 Vistaの時は重い重い言われてましたが、7は動作の重さは特に感じず。旧世代のクアッドコア(たしか2.5Ghzくらい)とメモリ6GBだとXPより快適に動くくらいです。それなり以上のマシンスペックさえ確保していれば何も問題はないみたいですねぇ。 それにしても。久しぶりにまっさらなマシンを使うと2年の歳月をかけて使い込んできたマシンの自分に対する適性を改めて感じました。やっぱりこんぴうたも学習するんだなぁ・・・ 2010/06/12(土曜日) 晴れ [ 時代の流れに追いつけない ] OSがクラッシュしたため、Windows7になりました。 前評判通りで、「ハードウェア側が十分なスペックを満たしていればとても快適に動く」OSのようです。Vistaが出た当時不評だったのもXPが動く程度のスペックで無理やり動かしていたからだったんだなぁ、と今ならわかります。 2年ぶりにPCを買うために訪れた秋葉原では、最早PCスペックも価格も壊れているとしか思えませんでした。Windows7のOSと1TBのHDDがセットで23000円。4GBのメモリが11000円。何それこわいの世界ですよ。2年でスペックが倍になり、価格も半分になる急激なIT革命。世の中は何処まで行くんでしょうか。そんなオーバースペック要らないんだけども・・・ 2010/06/11(金曜日) [ 何だこれは ] 気付いたら5月が終わる衝撃。世間では不景気不景気言われてますが、例年よりも仕事量が多い我が家。どうなっているんでしょう。 近頃街を歩いていると関西弁をよく聞くようになりました。以前から大阪にはスラムが誕生した、カジノでも作らないと最早立ち行かない等相当に景気の悪い話が流れていましたが・・・いよいよ人材の首都圏への流入が始まったのかもしれません。それに伴って関西圏で行っていた仕事も東京に回ってくるようになったのか、うちにも今までになかった広島の仕事が回ってきました。全体から見ればほんのわずかな割合ですが・・・何かが始まる前兆ではありそうです。潰しあいになるのかはたまたどちらにとってもまた新たな仕事が増えるのかはまだ見えてきません。 いずれにしても、ようやく遅いGWが取れそうです。・・・まぁ日曜だけでも休めている分、1ヶ月で休みが2日だけ、という某企業よりはマシなんですが・・・ 2010/05/31(月曜日) 晴れ [ 敗北感 ] カラオケでおいしいところを持っていかれるほど悔しいものはない。くっそう。高音の出る男のブラック★ロックシューターがあんなにカッコいいとは・・・ ボーカロイドはボーカロイドだとわからないレベルで相当加工しないとやっぱりメカメカしい声なので、肉声には敵わないわけで。上手い人がいい曲を歌うと本家より断然カッコいいんですよねぇ。 ちょっと鍛えれば裏声でなくても熱気バサラクラスの高音が出そうなのがわかっているだけに修練の足りなさが悔しい。やっぱ一人カラオケとか行かないとダメでしょうか・・・ まー本人直接誉めたりはしませんけども。絶対ここを読んでいるわけもないからあえて書きますけども。すまきゅん上手ぇわ・・・ オリジナルの声であれだけ歌えたら楽しいよなぁ。俺のは所詮猿真似だしなぁ。似せないと怒らる人も居るしなぁ。堂々と歌ってカッコいい歌い手になりたいものです。 全然関係ないんですが、小学5年生の時に自宅の階段の柱にガムテープで貼り付けた浦和レッドダイヤモンズのタペストリーがついに剥がれました。・・・17年保ったのか・・・ガムテすげー・・・ 2010/05/04(火曜日) [ 悪意なく、善意なく、過不足なく ] 人間の生活とは。 自分の墓穴を掘ってまた埋めるような作業ではなかろうか。 生き続けるために稼いで。稼いだ金で、いずれ死ぬのが決まってるにも関わらず無駄に生き永らえている。死ぬまでの時間稼ぎをしているだけで、生きているとは言えない。 そんなものは生活ではない。むしろ死活だ。死ぬために生まれて。死ぬために生きて。惰性で転がり続け。然り、然り、否、否。抗おうと抗うまいと死んでいく。 では生きるとは何であろうか。後世に何かを遺す事だろうか。子孫や、価値観や、物語を。 それらは生きた証とは成りうるだろう。 だが生きる標とも、当人にとって生きている実感とも成り得ないのではないだろうか。 生きるとは何か。生者も、聖者も、その答えに辿り着けず。辿り着いた者は既にこの世に居ない。理不尽なものだ。 というような事を毎度お馴染みよく意味のわからない道路工事をしている人達を見て思ったわけですが・・・別にそういう職業に就いている方々を馬鹿にしたいわけでもないし、自分だって社会的に、世界的に、歴史的に価値のある仕事をしているわけではないので似たようなものだと思っていて、そこには幾許かの自虐がこめられているんですが、そういうフォローというか説明を他人に読まれる場所だといちいちしなきゃならないのが面倒でならないわけですよ。ここだと別段そこまでせんでもいい気もするんですが、それでも一応説明責任は果たさないといけないわけでして・・・ ありのままに生きる事の難しさを本当痛感致します・・・ 2010/04/20(火曜日) 雨 [ 時間を置くのも良くないのかな ] 例えば一般的なサラリーマンの仕事が『x=1であることを証明せよ』という命題であるとするならば俺のやっている仕事は『xを1にせよ』です。最終的に目的が達せられるならば手段や方法なぞどうでも良いのだー。 とかなんとかそんな妄想をしたのが3日くらい前。思いついた時は面白いと思ったんですが文章にしてみるとそれほどでもなかった。やはり思いついた時に勢いで書かないとダメなようです。 森博嗣のどきどきフェノメノンを読んでました。何というか色々ひどい。ひどいけどすごい。50過ぎてるのにあんなにヲタク文化を勉強してるのが偉いと思います、はい。元々オタクだったんでしょうけども。でもきちんと新しいものを受け入れているというのが文章から見えて素晴らしいなぁと思いました。すべてがFになるを読んだ時は何だこりゃ、純文学か何かか、と投げ捨てた覚えがありますが(当時中学生)その後の作品はどんどん読みやすくなっている=売れるものを研究しているわけで。 最近になって、そういった先達の姿を見ているのもあり、やはり言葉遊びはしてもいいけども、無理くり難しい言葉を使う必要は何処にも無いんだなぁと感じるように。 文章は明解であってはいけないけれど、明快である必要はあるなぁ。とか早速遊んでみたりして。どきどきだねっ。 2010/04/15(木曜日) 晴れ [ 忙殺されてるとダメですね ] 不幸な者は、例え一時幸福になったとしても。 不幸だった記憶が消えるわけではない。 だから不幸な者は一生不幸なままだ。 お前には何も出来ない。 あの者を見るがいい。あの様を見てもまだ、お前に何かが出来るというのか。 ・・・嗚呼。僕は涙が止まらなかった。 彼女の有り様に。人として生きる事を諦めた虚ろな目。弛緩した身体。空だ。殻としての機能すら、無い。器の中に何も無いのだから。 そんな彼女をまざまざと見せ付けられて、僕には自分の無力さに絶望し、ただ泣く事しか出来なかった。 そんな夢を見た。目覚めた僕は泣いてはいなかったが、それがまた悲しい。そんな夢だった。 ・・・疲れてるんですね、きっと。誰に言われたのかも覚えてないんですが、妙に真実味があって嫌になれた気がします。 生まれながらに不幸な者は、永遠に不幸なまま、か・・・ 2010/04/11(日曜日) 晴れ [ 今年も季節は巡り ] 私は嘘を吐いている。 カウンター。 その嘘本当? 相も変わらず(愛も変わらず)世界はパラドックスに満ちている。愛故に嘘を吐くという事には何の矛盾もない。もしも本当の自分なんてもので生きている者が居たら、それはどんなに迷惑で、醜悪であろう。 その事を知っている者は自分探しなどしない。それって自殺だよねって戯言使いも言ってた。流石いっくん。 世の中にいとをかしきは数あれど もののあはれを知らぬのは いとをしきものを知らぬ故かな それはそれとして今年もアイレムがやってくれてます。 http://www.irem.co.jp/april2010/ 正直これほど愛をもって嘘を吐くメーカーは他にないと思います。素晴らしい。 2010/04/01(木曜日) [ 覇者が見えた ] 近頃三国志大戦が面白くなっていたので復帰してたりします。Ver3.1の頃は相性差が酷い、カード性能差が酷いでなんともならなかったので五品まで落ちていたのですが・・・ Ver3.51Bになり、気付いたら破竹の勢いで一品に上がってました。杜預は使ってませんが。 現在8連勝中。それも何か閃いてしまった変態デッキで!楽しくて仕方がありません。 内容は・・・ R夏侯惇(知勇)、SRケ艾、R賈?、C夏侯月姫、UC黄月英(加速装置)、R花鬘。 軍師はGR荀ケ(精兵集陣)、GR?統(兵力増援+士気増加)。 魏蜀開幕知勇一転号令型。総武力19、総知力45。槍2、馬2、象1、攻城兵1。伏2勇1魅3乱1軍1。全て天属性。 どう見ても変態デッキです。本当にありがとうございました。いやいやちゃんと考えたんですよ!実際勝ってるよ! 知勇一転号令はその名の通り武将の武力と知力を入れ替える号令。消費士気5、範囲は在りし日の後方指揮並なので6枚でも簡単に全員が入れられます。 開幕は全員で伏兵を盾に端攻め。脳筋が多い昨今、そうそう攻めてくる子は居ないので簡単にラインが上げられます。伏兵が踏まれていたら兵力差で押し込め、踏まないようならマウントを取ってからぶつける感じ。 悪地形でなければ自陣の真ん中あたりにUC黄月英を置いておけば士気4.5溜まる頃に城に張り付けるので、そこからおれのターン。 相手に武力10が居たら精兵集陣(武力+2)、居なければ最初のぶつかり合いで減った兵力を回復するため増援。 そして最大の見せ場、知勇一転号令発動!総武力わずか19があら不思議、武力8槍/9馬/9馬/8攻城兵/7槍/4象に。驚きの総武力45。しかも相手の士気は魅力0枚だとまだ3です。 ・・・Ver1の頃の旧SR甘寧をご存知の方ならわかるでしょう。武力8の攻城兵は相当の硬さです。そこに武力9騎馬2枚と槍マウント、さらに弓の天敵象兵(しかも攻城力強化計略持ち)。 開幕です。士気3です。伏兵2枚踏んでます。兵力ほとんど減ってませんor総武力57です。さらに知勇一転号令、何気に効果時間が9cもあります。3.51B現在、大徳、手腕等の英傑号令が7cですと言えばその長さがわかるはず。 止められるかといったら止められるわけもなく。 だいたい開幕乙れます。稀に再起を叩かれ凌がれますが、7〜8割城ゲージを持っていけます。 そこからも地味に強いのがミソで ・武力7が一応2枚居るので計略無しでも防衛は可能 ・高知力のため妨害、ダメ計には滅法強い ・象兵で弾いて攻城ずらし ・号令には離間 ・単体超絶強化には落雷 ・一騎当千、単体神速には隠密神速 ・トドメの6枚デッキと黄式加速装置による端攻め なんという隙なき構成。正直弱点が見つからないんですが! 強いて言うなら象兵のR花鬘のスペックが1/4と低く感じますが・・・それでも象兵最高知力なんです・・・大軍持ちなので一応知力10の伏兵も踏めますし。 後やはりどう足掻いても最高武力が9なので乱れ撃ちに弱いんですよねぇ。対策として象兵はどうしても入れたいというか。 後はなんでしょう、八卦3枚掛け(計略ステルス)にも弱い気がしなくもないんですが今のところ当たってません。うーん。 とりあえずもうしばらく今の構成でやってみる予定。負けたらまた考える! 2010/03/30(火曜日) 晴れ [ ゼアズ・ザ・スカイ ] There's the sky. ヒマラヤ山脈5VS5 ミノフスキー粒子0% いつだったろうか。インタビューで記者が「生きているのを実感したいからという空虚な理由で戦う事についてどう思うか」と言っていた気がする。 その質問そのものが随分的外れなものだと僕は感じたし、それ以上にそもそも僕はそんな理由では戦っていないと思った。否、そもそも戦いなんてどうでもいいのだ、本当は。 戦うというのは何か欲するものがあって行うもの。だけど僕は、僕達は富や、名声や、土地や、国家や、宗教のために戦っているわけではない。 相手への恨みもない。ああ、楽しかったな。また一緒に飛べたらいいなと思う事はあるけれど。もっと飛んでいたらきっといいパイロットになったろうな、と思う事もあるけれど。でも。相手への礼儀として逃げないし、手加減もしない。きっと向こうもそう思ってる。だから結果としてどちらかが堕ちてゆく。それだけだ。それに対して思う事は、きっとその時はあるんだろうけれど、すぐ忘れてしまう。生きて帰れたなら、次はもっと上手くやる。そう思えるか、その前に地上へ還っていくか。 地上ではたくさんの重いものがまとわりついてくる。空を飛んでいる時だけは、全ての枷から解き放たれた気分になって酔える。実際解き放たれているだろう。重力から。人間から。世界から。 それがただ、楽しいだけ。 戦う事が空虚だ、というのはわからないでもない。けれど。空を飛ぶ事の美しさは空を飛んだ者にしかわからない。そして、空を飛んでいる者の美しさも。地上の重さと穢れに慣れきった者にはそれがわからないだけ。生き死になんてどうでもいい事をどうして気にするんだ。死んだように生きている者と、いつ死んでもおかしくない故に今、生きている者の間に、どれほどの違いがあるかもわからずに。 どうして見えないんだ。僕には目を瞑れば見えてくる。 ミッドナイトブルーに塗装された機体。 僕の、ガンダム。蒼き死神。 試験型の180度スクリーンモニタ。蒼く点滅する計器。メインカメラ、ハンドウェポン弾倉、サブウェポン弾倉、出力オールグリーン。出来ればEXAMは使いたくないけれど。相手次第か。 索敵報告が入る。敵機は5。こちらの艦載機も5機。交戦になるだろう。第二戦闘配備。 レーダを確認。まだ遠い。けど相対速度を考えればすぐに戦闘になる。地形を確認する。山の中腹のようだった。 何処かで見たような気がする。けれど見た事がある地形とはだいぶ変わっていた。度重なる戦闘で山の形が変わったのだろう。 第一戦闘配備。 ミデアの腹から降下。 高度は低い。否、高度自体は高いのだが、山の上だから、地面が近いのだ。200mもない。以前のようにもっと上からなら距離を稼げるのに。以前?いつだったろうか。思い出せない。それにこの高さならパラシュートも要らない。 1ブースト。少し吹かして着地。 僚機を確認。11時方向から回りこむようだ。距離と進行方向を合わせる。 敵影は山の陰になって見えない。レーダもまだ捉えていない。 音紋索敵。200mじゃ飾りみたいなものだ。でも生命線だから目は離さない。 4ブースト、グラップルダッシュ。 見えた。高機動型ゲルググ。1機だけ。迂闊な。孤立したか。 僚機と連携する。右から1ブースト。1秒だけ撃つ。敵もブースト。遅い。 僚機が左翼からビームライフルを撃つ。直撃。ダウンした。 こちらも右からポンピングジャンプ。斬り込む。ジャストタイミング。双連撃になる。1、2、3連。撃破。 「右ルート、いくぞ」 通信が入る。 「了解、援護する」 レーダを確認。既にダンスに入っている。多くの火線が見える。 すぐに正面にザクF2が見える。僕にとってはいい位置だ。運がないな。 胸部有線ミサイル。1Hit。相手が体勢を崩す。ブーストからオーバーブースト、さらにジャンプ。シールドタックル。ダウンを取る。 その間に右からイフリート改。 バックブースト。ダメか。グレネードがかすめる。今度はこちらがダウン。 雪山に堕ちた。でもたいしたことはない。ここは、空より地上に近い。空で堕とされたら、たいていはもう戻れないけれど、ここは地上だ。そういう意味ではまだ運が良いのだろう。その分だけ不自由だけれど。もう飛べなくなるよりは、良い。 すぐに体勢を整える。距離は98m。ブーストをフェイントにする。敵は空振り。すぐさま斬り込む。 3時からゲルググ。2連QDに切り替えて離脱。 そのままカウンタータックル。決まった。 1時方向、300m先から応援要請。 僕が一番近いか。「了解」通信機を叩く。 ゲルググは後続に任せる事にする。 ポンピングジャンプ3秒、1ブースト。まだ遠い。 拠点攻撃機が取り付かれていた。100mmマシンガンを3秒掃射。 敵機が離れる。前に出て盾になる。 ガンダムがそんな戦い方をするな、と言われた事がある。 けれど僕のガンダムなら、コックピットに直撃を受けない限り戻れる自信がある。それに味方を餌に敵を食うなんて下品な真似はしたくない。 ザク改が距離を取って牽制してくる。まだこちらのFCS範囲外。 それを逆手に取る。偏差撃ち。命中。怯んだ。近寄ってこれまい。 それでいい。僕らは無理に敵を倒す必要はない。近づけなければ拠点攻撃機が敵の本陣を叩ける。 でも。パイロットは一人だ。けれど拠点にはもっと多くの人が居る。あそこが攻撃されればもっと多くの人が死ぬ。敵とはいえパイロットを殺したくない僕。そのためにもっと多くの人が死ぬ手助けをしている僕。正しさなんてどちらにもないのだろう。 でも、どうせ正しくないのなら。せめて自分が選びたいほうを選ぼう。 牽制射撃が続く。何発かはシールドに当たった。こちらの弾も相手をかすめている。致命傷には程遠いが、それでも機体は揺れる。 「敵拠点、撃破!」 通信が入る。どうやら敵のファットアンクルが沈んだようだ。 これで任務は終了だ。 「了解、後退する」 僕はそう返した。 その時赤い光が見えた。 拠点攻撃機が一瞬で蒸発する。 敵機?何処からだ? レーダ確認。10時方向。 ヒュン。 一瞬でシールドごと左腕が溶解する。ビームライフル! 機体を60度左に振る。 そこには赤いゲルググが居た。 そいつを見た瞬間にわかった。エースだ。 EXAMシステムスタンバイ。 それを裏付けるかのように。EXAMが発動した。 距離は120m。溶けたシールドと左腕をパージする。マシンガンも棄てた。ビームサーベル展開。 有線ミサイル牽制射。サイドステップでかわされる。上手い! 1秒ジャンプ。岩陰に隠れる。90m。一足一刀の間合い。 「中央ルート、応援頼む」 信号弾を打ち上げるが、援護は期待出来ない。到着まで20秒。それだけあればケリがつくだろう。 9時方向へ後退しつつ頭部バルカンで牽制。敵機はシュツルムファウスト射出。バックブースト2秒。 110m。ダメだ、ビームライフルの射程内! 僕はとっさにサーベルを最大出力で展開して前面に構える。 ビームが相殺される。装甲が溶ける。メインカメラにノイズが走る。 熱い。雪山だというのにコクピットは一瞬で灼熱の地獄に変わる。 「ぐぐ・・・ぐ」 さらにバックブースト。とっさに両ペダルを踏む。通常の倍の加速度。 岩壁にぶつかった。意識が飛びかける。シートベルトが軋む。痛い。 けれど、痛みがあるうちはまだ死んでいない。 敵機が再びビームライフルを構える。レーダは死んでいる。距離はもう目測でしかわからない。 モニタが真紅く染まる。僕の目が充血しているのか。EXAMが機体にさらなる負荷を掛けているのか。 わからない。けれど、もう僕が取るべき行動は一つしかないように思えた。 真紅いゲルググが近付いてくる。 遠い昔、ボーイスカウトで習った側距法を思い出していた。 80、70、60、59・・・今! 僕は装甲を全てパージして・・・ 夢から覚める。 いや、どちらが夢だったのだろう。 汗をかいていた。装甲が蒸発した余熱だろうか。うなされていたせいだろうか。 ベッドから起き上がる。足元にはちゃんと僕の靴があった。傍らの椅子にはフライトジャケット。空軍から転属した僕の、数少ない持ち物。 僕は靴紐を結び、ジャケットを羽織ると煙草を取り出した。 火を付けようとして室内は禁煙だったのを思い出し、宿舎を出た。まぁいい。少し熱を冷ますにはちょうどいいだろう。 数分歩いたところにはガレージが見える。 元は戦闘機の居場所だったそこには、片膝を付いたモビルスーツが佇んでいる。 その姿は、いつまでも現れない神を待つ聖者のようにも、仕えるべき主を求める騎士のようにも見えた。 ああ、そうか。 純粋なんだ。 空を飛ぶ者も。 戦場で戦う彼らも。 だから、眩しい。 眩しくて、地上にいる者には正視出来ない。 急に、それなら仕方ないな、と思えた。 見えていないのだから、わからないのも無理はない、と。 煙草に火を付ける。 空を見上げた。朝焼けが眩しい。 空に上がっていく煙のように。 何処までも高く上がっていけたなら。 僕も眩しいものになれるだろうか。 2010/03/24(水曜日) 雨 [ それから、或いはあれから ] 僕はどれくらい変われただろうか。 あの頃から比べれば、少しだけ欲望に忠実で。しかしながら貪欲と評するほどでもなく。 バブルと共に幼年期を過ごし、バブル崩壊と共に青年期を過ごした僕は、恐らく多くの大人達より少しだけ、希望よりも絶望を、栄光よりも破滅を、構築よりも破綻を知っているからだろうか。余り多くを望まない者になったんだと思う。過ぎたるは及ばざるが如しという妥協。足るを知るという事。 それも勿論良い事ばかりではない。努力は必ずしも報われないと知ってしまったから言い訳ができる程度にしか何かに挑まず、愛したからといって愛されるわけではないと知ってしまったから傷付いた挙句何も残らないくらいならば最初から何も愛さないほうがいいと諦観の念を抱く。 そんなベースの上に、さらに妥協を覚えて、また一歩つまらない大人に近付いていく。それでも、くだらないよりはいいのだろうか。他人に迷惑をかけるよりはいいのだろうか。答える者は居ない。答えられる者は大人で、答えられない者は子供だから、そんな疑問を抱いてしまう中途半端な僕の求めるものは誰にも与えられないのだと思う。 死ぬために生まれて。それは生まれながらにして死んでいるようなものだ。死んでいるのに死を恐れるという矛盾。僕達は、本当は誰も生を知らないんじゃないのか。死という絶対的な事実しか知らないから、誰も本当には生きられない。本当の生を知る事がない。 だから中途半端になれる。意味なんてなくても死なないでいられる。 死なないだけなら簡単だ。 だけど苦しくないわけじゃない。 息が、詰まる。自ら、水から這い出た魚のように。何処でなら楽に呼吸が出来るのかも、生きられるのかも、わからないまま、息苦しさに喘いでいる。 僕はそんな窮屈さから逃げ出したいのだろうか。だけど、いつでも逃げ出せるって事だけは知っている。ならば、知らない事を知るために、もう少しここで足掻いてもいいんじゃないか。 それくらいのポジティブさは、中途半端なりに見出せるようになった。或いは、それも妥協なのかもしれないが。 いつでも死ねるから死なない程度には、欲を持つべきだろう。僕よりも先に死んでいった者達の為に。 2010/03/17(水曜日) 晴れ [ 久しぶりに ] 福島のSSパークサーキットジムカーナ場に行ってきました。 ・・・路面がひどい。一日でタイヤがお亡くなりになったよ! 最後に行ったのが5年くらい前なんですが、どうやらそれから一度も路面の補修を行ってなかったもよう。・・・直せよ・・・ とりあえずフロントだけでもタイヤ交換しないと・・・世間ではスノータイヤからラジアルへの履き替え時期らしいですが、自分の場合はワイヤーが出るところまで磨り減ったタイヤの交換時期でしたというオチ。 次はADVAN NEOVA AD08かなぁ。とりあえず前まで使っていたブリヂストンのRE050はそこそこ食うけど減りとブロック欠けが酷くてダメそうでした。最大の問題は5分山以下になるといきなりグリップ力が落ちる事。使い切れない、勿体無いタイヤです・・・というか町乗り用なんでしょうねぇ。普通に使ってる分にはいいんですが・・・ 石橋さん家のタイヤはトップブランド(RE01、11シリーズやSタイヤ)と中級以下(PlayzやREGNO)の差が激しすぎて困ります。やる気のないタイヤは減るわ食わないわでいいところないんですよねぇ。RE01Rを使ってた事があるんですが、あれは鬼グリップだわ全然減らないわ神性能でした。高いだけのことはある、みたいな。 とはいえ間接的に鳩山首相を応援する気もないし、最近NEOVAの品質が高くなったと聞いたのでちょっと乗り換えてみようかなと。 にしても何でもそうですが、ちょっと本気を出すと色々課題が浮き彫りになりますねぇ。自分の腕が鈍ってるところから始まって、ホイールベースと比較して重いボディ、タイヤ、LSD、TCS(トルクコントロールシステム)、ブレーキの熱垂れ・・・出来る事からやるしかないんですが、先は長そうです。 乗ってて一番問題だなと感じたのは、斜め前に進めない事。 普通車は多少ハンドルを切った状態でアクセルを踏んでも前に進めます。ところが207はタイヤのグリップが足りないのか、無駄に高いトルクが邪魔をしているのか、剛性が高すぎて車が止まろうとしているのか、そもそも車が重すぎるのか、LSDがないからなのか、これら全部の要素なのか、タイヤをほぼ正面(つまりハンドルをほぼ切らない状態)にしないとその場で空転して前に出てくれませんでした。今まで乗ってきた全てのFF車で出来た事が出来ない。うーん・・・たしかに外車は初めてですが・・・ なんでしょう、普通新しい車ってカタログスペックからは見えない何かを持っているもんなんですが、ジムカーナ場で「流石は新しい車、何かが違うぜ!」と思えたのは1600ccのエンジンの割に太いトルクだけでした。曲がらないし前に出ないし・・・なんぞこれ。 まぁ。フランス車如きでタイプRと張り合おうというのが間違いなんですが! それにしても207、全体的な特性、挙動がシビックにそっくりですねぇ。ボディ形状が近いので当たり前といえばそうなんですが。 2010/03/14(日曜日) 晴れ [ パイロットの目 ] スカイクロラ(映画にもなった森博嗣の小説)。主人公が戦闘機乗りなんですが。 彼の台詞の中に「撃とうと思った時には次の目標を見たほうが良い。今から弾をぶち込む相手を眺めている時間は完全な無駄なのだ」というのがあるんですが、まさにその通りだなーと感じる昨今。 戦場の絆において、俺は基本的に敵に弾が当たったかどうかなんて確認しません。そんな暇があったらレーダーを確認して、自分を狙う敵機との距離や、僚機の位置を確認して次の行動に移ります。これは経験から得た重要なテクニックで、目の前に居る相手に何処までダメージを与えて離脱するか、或いは撃墜するまで弾をぶち込むかという一瞬の判断が生死を分けます。 獲物を前に舌なめずり。三流のする事だ。最前線で戦ってると身に染みる言葉です・・・ 2010/03/12(金曜日) 晴れ [ 同じ星の下 ] 誕生日でした。邪教の館からメールが来ました。フォルネウスの加護を受けているそうです。フォルネウスというと本人よりもメガテン3のシブヤに居る「遅い、遅いぞフォルネウス!」と延々言っている彼のほうが印象に残っているような。或いはロマサガ3のメイルシュトロームが・・・表だと間違いなく彼が最強でした。メイルシュトローム→ぶちかましは耐えられないよ! 同じく守護悪魔がフォルネウスなのはオタギリジョーだそうです。誕生日違うのに。謎い。 誕生日というと梅宮辰夫と誕生日が同じだという理由であだ名が「辰夫」だった中学時代を思い出します。当時全く理由がわからず、しかも誰も教えてくれなかったのも今となってはいい思い出。 さらにどうでもいいですが、誰も祝ってくれないので自分にMEU(アメリカ海兵隊)仕様のカスタムガバメントを買いました。マルイのガスガンの中でも特に良い出来です。それにしても45口径なのにトリガーが軽いなぁ。実戦を意識してるんだろうなぁ・・・ それにしてもやはり、良い人ほど裏では冷徹な思考を持っているものですね。どれだけ良い人であっても、或いは良い人であればあるほど裏切られ、傷付けられる。そして或る者は仮面を脱ぎ捨て、或る者はさらに深く被りなおす。というだけの差なのでしょう。 何にしても好意は素直に表さないとあらぬ誤解を生み、余計なトラブルを背負うハメになりますね。わかってても素直になれないからツンデレという称号が付くんですが。・・・嗚呼、ツンデレって称号自体もまた、業の一つか。 2010/03/11(木曜日) 晴れ [ 歳月が待つもの ] 歳月は人を待たず。然り。時の流れは人を変える。然り。 変わるのは幸か不幸か。 時の流れに置いていかれた(老いてイカれた)者はむしろ幸いではないか。変容していく自己を認識せずに済む。全く変わらぬ事は何者にも出来ぬが、それを自己が認識出来なければそれは変わらぬと同じ。 変化した者は、むしろ変わらなくては生きてすらいけなかった者。己が己である事を赦されなかった者。なんと不幸であろう。 それは進化ではない。適応であり妥協であり諦観である。 己に由縁する孤独は全にして一なる完成であり閉じた世界でしかないが、彼らのそれは人に囲まれながらなおも孤独である。絶望的なまでに、不完全。何処までいっても埋まる事のない欠片。退路はなく、進路は未だ誰も知らず。同じような苦悩を抱える者を数多持ちつつも、彼らと悩みを共有する事さえ出来ない孤独。 そうして時が過ぎ去り、置いてかれて(老いて枯れて)彼らは気付く。それについて思い悩んだ事の虚しさに。悩んでも、悩まずとも、ただ一つの絶対的事実がその道の先にあるだけと。 結局のところ、下手の考え休むに似たり。否、下手に考えず休め、というお話。 スカイクロラ(映画は観ました)が図書館にあったので、森博嗣をすべてがFになる以来久しぶりに読んで思っただけー。文体というか雰囲気が全然違ってびっくりしたのは俺だけだろうか・・・ラノベじゃんこれ!みたいな。あのヘヴィなミステリっぷりは何処に行ったの・・・ そして時折心配されるんですが、精神状態が良くても悪くてもだいたい俺の書く文章の雰囲気は変わりません。・・・あれそれもどうなんだ・・・ 2010/03/10(水曜日) 晴れ [ 人が砕ける音を聞いた ] いまだにROをやっているんですが。Gv(攻城戦)にて紆余曲折あり、自分が指揮をやる事に。 「想定していた内の最悪から2番目の結果になった」 とは軍事同盟の某ギルドマスターの談。 所属ギルドから最古参の一人と指揮を担当していた人の二人が抜けました。 理由は当人達は方向性の違い、と言っていましたが私はちょっと違うかなーと感じました。 実際のところは気負いすぎ、だったんじゃないかと思います。何でも自分でやろうとしすぎた。だから色々なところで余裕がなくなって無理が出て、他人を受け入れる余裕も、受け流す余裕もなくなっていたんじゃないかな、と。 だって。俺はたった一度。たった一週。昔の所属ギルドのGvのやり方をしただけ。それで脱退するなら、もっと前に抜けていたはずなんです。無論理由はそれだけではないでしょうが、それでも以前の状態であれば抜けるところまではいかなかったはず。 やはり負担は集中させるべきではないな、と感じました。 無理をすれば、潰れる。 潰れなくとも、歪む。 そう思いました。 なぁんてな。綺麗に纏めようってかぁ!? 嘘吐けこの野郎。なぁおい。終了後の反省会でよ。「今日の戦争面白かった人挙手〜」なんてしれっと言いやがって! (待つんだ、そのアンケートを言い出したのは僕じゃない!) そりゃお前、皆手を挙げるわなぁ。根回しバッチリだもんなァァァ!片やギルドでも指折りの偏屈者、片やお前さんは古参の一人。参加者は近しい人間で固めて。さらに事前に一人一人説得してなァ。用意周到だよなァ! (それは違う!ただ、本音を聞きたくて1対1で話をしただけだ!) お前の用意した策は全く機能してなかったじゃねぇか。後は敗走するだけってところをフォローしてもらって。かろうじて勝利を拾ったに過ぎねぇってのによォ!最後だけいいとこ取りか?汚ねぇよなァ、やる事が! (く・・・確かに助けてもらったのは事実だ。だけど僕は・・・!) 全て思い通りだろ?あいつらよりちっとばかし優秀で、遥かに狡賢くて、ちょろっと人に好かれる努力をして、追い出して。気に入らねぇ奴の代わりにてっぺんに座って。富も名声も地位も手に入れて。いいじゃねぇかそれで。何を悩む?何を苦しむ?笑えよ。高らかによ。さぁ!さぁ!笑えってんだよォォォォォォ! (・・・それでも僕が欲しかったのはそんなものじゃないんだ・・・ただ僕は・・・みんなが笑って過ごせる世界を・・・) ・・・悪逆サイドのCVが関智一だったら勝てませんこれ。いやもう・・・本当の正しさって何だろう・・・教えて、強さの定義・・・自分貫くことかな・・・それとも・・・自分さえ、棄ててまで・・・守るべきもの・・・守ることです・・・か・・・ やっぱ疲れてますね。色々ダメな感じです。 余談ですが、多分同盟先の人が想定していた最悪のシナリオは「俺が抜ける事」だったんだと思います。これは自惚れでも何でもなく、俺が抜けたらギルドそのものが崩壊していたと思います。少なくともメンバーの半数が一緒に消えていたはず。 どんな形であれ人の上に立つというのは「資格」が必要です。その在り方は単純に飛び抜けて能力が高かったり、人に好かれる才能であったり、誰ともぶつからないからであったりと様々ですが・・・ 俺のそれは「俺を含めた周囲全員が楽しめる世界を作る」という意識だと思ってます。出来る出来ないは問題じゃない。そうありたいと願う心。 所詮ゲームです。ゲームとは何か。娯楽です。多くの人が楽しめないならばそれはもうゲームではないのです。 だから、オンラインゲームで他人を巻き込んで何かをするからには。可能な限り多くの人が楽しめる環境を作る義務が生じるのです。 今回消えていった二人には、その『覚悟』と『資格』が足りなかった。そう思います。いやまぁ、その、なんだ。たった一度で彼らのプライドを粉々に砕いたのは申し訳なかったと思いますけども。 2010/03/08(月曜日) 晴れ [ なるほどなるほど ] やろうと思えばできるでしょう。 やろうと思う事ができません。 見事なカウンターというのはモノがボクシングであれ言葉であれ印象に残るものです。 いや、なんでしょう。パッと見どうってことない応酬なんですが、何か心に残ったフレーズ。何でだろう・・・ 2010/03/07(日曜日) 晴れ [ ただただ、悲しい・・・では終わらない ] また友人の結婚式でした。 今回は式、披露宴、二次会全ての撮影を依頼されました。 友人だし、お気持ちだけでいいよとは言いました。 その気持ちは5000円札が一枚でした。 ノートPC、カメラ二台、三脚があるので車で機材を運び込みました。 往復の高速代が2600円でした。 現地の駐車場代が1000円でした。 ガソリン代が2050円でした。 足すと5650円。そうか。俺の価値はマイナスか。 拘束時間は実質的に9-23時でした。 私は見事期待に応え、新郎新婦の晴れ姿を、素晴らしい表情を撮ったと自負しています。 二次会から来たお客様の為に、披露宴の様子をスライドショーで流そうと言われました。 ノートPCを用意し、その場で写真を加工して、わかりやすい形でお客様に見せる事が出来たと思っています。 この後写真を選別し、加工して郵送するでしょう。それは勿論1時間や2時間で終わる作業ではありません。 その価値が5000円か。 たしかに代わりに祝儀は包まないよ、とも言いました。 ですが親族でもなければせいぜい包んでも3万円でしょう。 船上パーティーでした。地上3F、地下1Fの中型クルーザーです。費用は相当なものでしょう。 昇進が決まっている、共働きの夫婦とはいえ30歳前ですから、裕福とは言えないのもわかります。 侮られるのは慣れています。 所詮私も30前の若造でしかありません。 それでも。これは悲しい。ただ、ただ悲しい。 通常プロカメラマンにそれだけの撮影を依頼すると、安くても7万、通常は10〜12万程度かかります。 たしかに端くれ程度ではありますが、私も一人のプロカメラマンです。 それが5000円。友人とはいえあまりにも非道な仕打ち。 前金だったのも良くなかったのでしょう。実力を示す機会を与えられないままで、正当な評価を下せというのも難儀な話。 友人夫婦は私の事を自称プロとしかみなしていなかったのでしょう。 東京都の最低賃金は時給791円です。拘束時間はなかったものとして実働8時間で計算した場合6328円。私に与えられたのは交通費雑費込み5000円と780円の弁当2個、二次会のバイキング料理の片隅とウーロン茶とコーヒー。なるほど、移動費を考えなければぎりぎり満たしていると言えなくもありません。 祝儀を3万包んだとして、それがそのまま返ってきたと考えれば、友人として納得の行く額にもなるかもしれません。 それでも、それでも俺の価値は5000円っ・・・!この事実は揺るがないっ・・・! 嗚呼、悲しいなぁ。タダ働きよりもっと悲しい。0は無限でもあるが、5000円は5000円でしかない。 ・・・とまぁ今までの自分ならネガティブ様で終わるわけですが。 ここでチェス盤をひっくり返すぜ? 逆に言うならそれほど友人として俺を頼ってくれたってぇ事じゃあねぇか。俺は命令は聞けねぇがお願いは出来る限りにおいて何でも聞くからな。頼りにされたなら最後まできっちり面倒見るぜ。 後やっぱりお祝い事は良いものですよ。笑顔に溢れる素晴らしい式だったと思います。そのようなめでたい席に参列出来るというのはありがたい話です。懐かしい顔にも会えましたし。 どうでもいいんですが、しばらく触ってなかったらコンパクトデジカメを使えない子になってました。玄人の病気だと思います。重量がないと手が震えちゃうよ・・・! 2010/03/06(土曜日) 晴れ [ 難儀なお仕事 ] 断言しよう。 広告業はカタギの仕事ではない。 何故ならば。 無茶を通して道理を引っ込ませようとする連中に、さらに道理を説く職業だからだ。 ヤクザではない。ないが・・・やはりカタギでもない。そう思う。 2010/03/05(金曜日) 晴れ [ 自信家と傍観者と ] 自信家は元から自信家だったわけでは無論無い。 数々のコンプレックスを乗り越え、その結果一つ一つ自信を付けていったのである。 他人から見ると私も随分自信家に見えるそうだ。しかしながら私は程度が知れている、という事を嫌というほど知っている。 私を100とすれば或る友人Eは230くらい。友人Oは180くらいはある。身近にそれだけ多くの心の闇を抱え、悩み、苦しみ、それでも一つづつ解決し、強くなっていった・・・そんな「力への意思」を持った者が居る。彼らを知っているが故に私などは人間としてもまだまだであり、同時に「俺如きが自信家に見えるわけがない」と思うわけである。 私は何かを考える時、基本的に主体がない。私の脳はいわばハードウェアであり、その上に「俺」であるとか「私」であるとかといった仮想人格を作り上げ、それらの思考、思想をエミュレートする。 それは仮想のものであるが故に、実のところ私自身のコンプレックスを持たない。もし私という人間が自信家に見えるのならば、それはそういった「作られた私」のものである。本来の私が持つコンプレックスは少ない。無いとは言わないがとても少ない。 私自身の最大のコンプレックスと思っていたものが他者にコンプレックスを抱かせ、より深く傷付けてしまったのを見て「嗚呼、こんなのはなんでもない事なんだな」と思った事さえある。 であるから、私は彼らのように彼ら自身のコンプレックスを持ち、それを乗り越えてきた者を心の底から尊敬する。それはとてもつない労力であり、苦悩であり、さらにそれを乗り越える意思の強さであるからだ。 主体なき、仮想の私のコンプレックスは苦悩は持つ。だがそれらは本質的に実体なきものであるため、乗り越えるのに「力」を必要としない。人から見ればそれは「飄々と生きている」ふうに見えるかもしれない。だが、それはまさに「実力」の無さの表れであり、傍観者のそれに似ている。 真に強き者とは。あらゆる苦悩を自らの内に持ち、それを克服しようとする意思と向き合う勇気を持つ者である。 そのようにある近しい友人を持てた事を私はとても嬉しく思う。また、そういった負の側面を包み隠さず話してくれた事を。 ならばそれに応え、せめて私くらいは彼らの苦悩を知ろう。覚えておこう。彼らの意思が無駄でなかった事の証明として。 2010/03/03(水曜日) 晴れ [ すり合わせ ] 意見調整は難しいなぁ。ただあちらを立てればこちらが立たず、って事は俺は絶対無いと信じて妥協点を探します。 実際に出来る出来ないはひとまずさておいて、やってやると思う事。その意気込みは大事だと思います。問題は相手にもその信念を持ってもらえるか。諦めたらそこで試合終了ですよ、という思いを信じさせられるか。 そこさえクリア出来れば話はあらかた纏まるんですよねぇ。ま、そこが一番難しいんですが・・・ 2010/03/01(月曜日) [ 日本十進分類1類 ] かつての私は図書分類における1類が哲学・宗教である事に違和感を覚えていた。 当時の私にとって聖書というのは小説と同じカテゴリにあった。であるからして、かの書物があるべき場所は9類の文学であって、哲学書と並べられるものではないと考えていたからである。 しかしながら、現在の私はそのような狭量な考えを棄て、ある結論に至ったのである。 優れた宗教家は自身(自信)があってはならないので哲学者にはなれないが、優れた哲学者は宗教の祖となりうる。否、事実そうであったのではないか。 仏陀(ゴータマ・シッダールタ)はその感性により無常を始めとした優れた哲学を生み出した。その中にはソクラテスを知っていたのではないかと思われる思想もあり、彼が哲学者として非常に優れていたのは疑いようがない。 彼は元々宗教を興す気はなかったのではないだろうか。その価値観を他者に広めるためにわかりやすい形にしたのが宗教であっただけで、もし彼が現代に生まれていたら大学で哲学科の教授として教鞭を振るっていたかもしれない。 他の人に伝えたい思いは誰しもが持つ。しかし話をきちんと聞いてもらうだけでも難儀するのはご存知の通りで、さらに正確に伝える事はとても困難だ。 だからこその宗教。 キリストは彼の説教の中で例え話を相当な数持ち出す。それもわかりやすさを重視した故であり、彼なりに伝え方を苦慮した結果なのだ。 今ならば言える。 たしかにかつての哲学者と宗教家は相容れない。そこには作家と読者ほどの大きな隔たりがある。 しかしながら宗教の祖は立派な哲学者である。そこに矛盾はない。 現代の哲学者はかつての世界のあらゆる思想を体得している。つまり読者でもある。現代の宗教家もまた、経典から始まり、あらゆる世界観を飲み込んだ上で教義について思考する読者である。 故に実のところ哲学書と経典を同じ棚に並べる事は何も矛盾しないのだ。 その事に気付いた時私はまた一つ寛容さを身に着ける事が出来た気がする。やはり視点は複数持たないと、視野狭窄に陥るものだと反省をした。 2010/02/27(土曜日) 晴れ [ たまにはゲームの話 ] ファンタシースターポータブルを1stからぶっ続けで2ndまでやってました。なげーよ。そしてやっぱ面白れーよ。 ドリキャスでPSOが全盛だった頃は全く触らなかったんですが・・・売れた理由はわかった気がします。たしかにこれは面白い。まぁ制作がアルファシステムだからというのもあるでしょうけども。 EXTREME VSというガンダムVSガンダムの新作情報がでてたようで。正式稼動は夏〜秋頃らしいですが・・・ クロスボーンガンダムやヅダが追加されるみたいなので期待ですねぇ。後は家庭版が今度こそPS3で出てくれれば・・・ 後は相変わらず延々と戦場の絆をやっております。大佐〜中将あたりをふらふらと。一度堕ちると上がるのが難しくなったなぁ。まぁ来月は意地でも中将に返り咲きますが。 2010/02/26(金曜日) 晴れ [ 地獄の季節は終わらない ] いや、うん。実は去年あたりから気付いてたんだ。 わかってたんだ。 私はいわゆる重度の花粉症患者なわけですが、どうも以前から花粉情報アテにならねーと思ってたんですよ。 でまぁ今更ながらに調べたら、花粉濃度と症状悪化は一致しないそうで。道理であまり当たらないわけですねぇ。どころか関係なかったと。 とりあえず花粉症にお悩みの方、ペアコール鼻炎カプセルLGってやつはすごく良く効くのでお勧めです。サンドラッグ系列でしか扱ってないみたいですが・・・去年から服用してますが劇的に変わります。お試しあれ。 という自分用メモだったのさ・・・毎年この季節になると薬屋さんにお勤めの友人に「あの薬名前なんだっけ?」と訊くのが申し訳ないので・・・ 久しぶりにトップを更新しました。・・・うわー気付いたら10周年過ぎてるよヲイ。すげーなぁ。こんなだらだらと書いてもう10年ですか。あっという間だったのか長い時代が流れたのか・・・ 偉大なる事物は偉大なる人物の為に、深淵は深き者の為に、繊細と戦慄は優美なる者の為に、稀有なるものは稀有なる人間の為にある。ニーチェ。 なんというかやっぱりニーチェ便利ですよね!こんなにも自分の無能を棚に上げてわかった気になれる書を書いた人物は他に居ないと思います。別にニーチェ自身が無能であるとか言いたいわけじゃないですよ勿論。 ただまーやっぱり普遍的である事の危険性をものすごく感じました。事実歪曲された彼の遺稿が偽書としてナチズムを肯定する一因となったわけですし。 誰かを攻撃するのは、どのような形であっても良くないですね・・・キリスト教を批判すれば、それはキリスト教信者を攻撃するのに使われますし、ユダヤ人の○○さんを批判すれば、ユダヤ教の弾圧に使われますし。 そのあたりの「他人の言葉を利用しようとするもの」に対する警句を持って自分への戒めともしよう・・・ 「自分の言葉で語れないのなら沈黙を守れ」。 まぁ他人の事は言えませんがネ。言えないから反省するんですが。 2010/02/24(水曜日) 晴れ [ 君の姿は僕に似ている ] 自分に酔って何が悪い!(挨拶 本日の戦利品。 ALPHA INDUSTRIESのアメリカ空軍ジャケット S&WのSWAT仕様ダガーナイフ アメ横楽しいですねーやっぱり。一日眺めているだけでも飽きないというか。友達なり彼女なりとだらだら歩くのにちょうどいい街だと思います。人多いけどナー。 叔父貴と二人で飲みがてら秋葉〜アメ横をぶらぶらしてたわけですが。・・・やっぱ叔父も俺も育ての親同一人物だなぁと感じる今日この頃。叔父貴はうちの母が12歳の時の子供なのでほとんど育てたようなもんなんですよねぇ。そのせいか価値観とか趣味とか考え方とかがかなり近い気が。 具体的に言うならエアガンとかナイフとかの類のミリタリーな趣味とか、友人とのスタンスとか。悩んだ末に結局俺とお揃いの銃買ったりするレベル。普通野郎とおそろって嫌がるんですが、というか嫌がってたんですがそれでも・・・というレベルで趣味が近いという。 しかし依存・・・依存かぁ・・・自覚が全然無いって事は別に負荷がかかってないって事なんだろうなぁ。あーでも傍から見てるとそうなんだろうなぁ。時任と久保ちゃんみたいな。3巻の妊娠ねーちゃんのあれがすげー印象に残ってます。「私誤解してた。最初は何で時任はこんなに依存してるんだろうって。でも違った。本当はあんたのほうが・・・それこそ異常なくらいに・・・」ってまぁそこまでじゃないですけども。でもやっぱり俺も指摘されたら誰よりも恐ろしい笑顔でだから何?って言うんでしょうけども。あれ逆だった。俺が時任だって話をされたんだっけか。 金銭的に寄りかかられると俺は1ターンでゲームオーバーですが、精神的に寄りかかられる分にはなぁ。別段それを負担とも感じません。責められるのはまた別。たっぷりぎっちりこってりしっかり甘やかしますヨ。多分。 まー問題はそこまで辿り着いてくれる女の子が居ない事だネ。残念な話ネ。困ったもんだ。 2010/02/21(日曜日) 晴れ [ 迫害されるのは何故か ] ソクラテス(服毒死)。キリスト(磔刑)。ジョン・レノン(銃殺)。キング牧師(銃殺)。ケネディ大統領(銃殺)。歴史に名を残す哲学者と宗教家と政治家は揃いも揃って迫害を受けている。 彼らはいずれも自らの信じる正義に殉じ、その時代の社会の思想、制度、差別と戦ってきた。特定の誰かを傷付けたかったわけではない。にも関わらず彼らはいずれも個人の思惑により死んでいる。 これは彼らがまさに「誰にでも当て嵌まるが故に誰の事でもない」、普遍的哲学を持っていたからではないか。 彼らが多くの人々に影響を与えたために・・・多くの敵を作ったために殺されたとするのは正しい。では何故多くの敵が出来たのか?時の権力者にとって疎ましい存在だった。それも正しい。だがそれ以上に、特に現代においては「自分の事を批判されているようで腹が立った」のではないだろうか。 良くも悪くも誰にでも当て嵌まる哲学者の言葉は、受け手本人の無自覚の悪意が、無意識の罪苦が、自身を傷付けているだけで・・・受け手は決して認めないであろうが・・・彼らを傷付けようとして言葉を紡いだのではない。 前提がそもそも違う。 彼ら自身は、おそらく。 本当はどちらでもよかったのだ。 成功も失敗も。 正義も不義も。 生と死すら。 ただ、あるがままにしか生きられなかっただけ。 おそらく彼らが何かを始めた当初は、こんなにも反響があるなどとと考えもしなかったに違いない。そしてそんなものはあってもなくてもよかった。自分如きの言葉にどうしてそこまで反応するのか、とさえ思っていた者も居たかもしれない。 多くの人の目に触れる事により、「どうでもいい」とさえ思っていた自分の思想を巡り人々の思惑がカオスに飲み込まれてゆく。この揺らぎを識り、恐れる大半の人間は、言いたい事があってもどんどん無口になっていく。 彼らが歴史に名を残したのは、不器用だったからだ。 自分に「そのつもり」がない以上、たとえ自分が死ぬとしても、口を噤む事が出来なかった。さらに言えば「どちらでもよかった」。 仮に名が残らずとも、言葉は残る。 詠み人を知らずとも、読み人は残る。 彼らも、或いはそのような思いで自身の人生という名の物語を紡いだのではないだろうか。 ならば私も記そうではないか。私の物語を。訪れる者なき茫漠たる荒野の果てであろうとも。読む人なき死書であろうとも。 今や私の望みは書く事だけである。 成功も失敗も。 正義も不義も。 生と死すら。 どうでもいいのだ。 2010/02/18(木曜日) 晴れ [ 断定の力 ] 引き続きニーチェ読考。・・・うん、あれだ。ここのところの俺に足りなかったのは言い切る力だ。それがいかなる正論であれ暴論であれ力を込めて断定すれば十全たる説得力となる。わかりやすく言えば「ナメられてた」って事だな。 哲学の理想的な表現とは「誰にでも当て嵌まるが故に誰の事でもない」状態である。普遍的哲学(という錯覚とニーチェなら言うだろう)足りうるには普遍的表現でなければならない。 例えば「責任」というものに対するスタンスを語る時、ある者は自己への信念を、自己の業績に対する個人的権利を、いかなる犠牲を払ってしても棄てまいとする。一方である者はいかなる責任もとりたがらず、いかなる罪もひきうけず、自分を内心の自己侮蔑から何か他のものに転嫁させたがっている。(以上ニーチェの著書からの引用) これは誰にでも当て嵌まる。例は極端だが誰しもが必ずどちらか寄りのスタンスである。自己への信念を持ち、権利の主張をする者は同時に責任への覚悟も背『負う』。それを持たぬ者は何某かの卑屈さを孕み、責任を『負う』事に怯え、自身を無能であると信じる事で他者に肩代わりしてもらえる事を願う。いずれにも属さぬ事などありえない。どちらでもない者はそもそも目前に「責任」がない者だけだ。 さあれ、「誰にでも当て嵌まる事」は筆者に近しい者にとっては「私を非難している」と誤解させる危険を常に孕む。実際着眼点そのものは無論筆者の縁者から得られるものであるから、それはあながち誤解でもない。 しかしながらそれは多くの哲学者がそうであるように、より広い観点における真理を得る過程であり、実在の人物は「どうでもいい」のである。肯定する義理もなければ否定するというカロリーを消費する理由も無い。目的は別にあるのだからそこは「どうでもいい」のだ。 そこを曲解し、文盲どもは自身が否定されたと思い込み、筆者の人格を否定する。 現代における文盲は、字面とは矛盾するが・・・『文字』は読める。しかしながらそれで終わる者を指す。それ以上でも以下でもなく、ただ『文字』が読めるだけである。10人居れば2人はこのような愚昧なる輩が居る。 『文字』ではなく『文章』の意味を理解出来る知恵者。10人のうち5人。 さらにそこに込められた意味を受け取り、そこから考えうる賢者。10人のうち2人。 この比率は残念ながら有史以来変わっていないであろう。 われわれの役目は選ばれたその者達、否、その子孫達へのメッセージを記し、同時に彼らの持つ哲学を汲み取り、より多くの者が知恵を持つ環境を作る事である。 私の文章に憤りを覚えた者はどうか考えて欲しい。何故私がこのような文章を記したのかよりも先に、何故自身が怒りを覚えたのかを。答えは既に自身の内にある。その答えを胸に、もう一度読み返す事。さすれば何故私がこのような文章を書いたのか、書き方をしたのかもまた、見える。三度繰り返し、それでも見えてこないとするならば、その時は私を責めていい。私の文章力の不足に因るものであるからだ。 目覚めよ。生まれてきた以上、汝らにはその義務がある。目を開け、というのは与えられたモノを正面から受け止めよという事。目覚めよ、というのは受け止めたのみで終わらせず、考えるのを止めるな、という事だ。 どうか諸君にはこれらの矜持を胸に刻み、さらなる高み、或いは深淵を目指して生きてもらいたい。 ・・・ちなみに。この文章を読んでも何も思わなかった貴方。それが正常です。怒る事も悲しむ事も、何一つ感情を覚えず「どうでもいい」と思うのが健全な精神の在り方です。実のところ、私が最も切に望む読み手の感想は「面白かったけどどうでもいい」なのです。 逆に一番嫌なのは、文章中でも触れてますが「文字」だけ読んで「文章」を読まない奴に批判される事。 つまらないと言われてもごめん、或いは仕方ないね、で済みますがそれだけは許せません。俺の名と共に、胸に刻み込め。 2010/02/16(火曜日) 晴れ [ パーフェクトゲーム ] なんと言いますか。近頃自分の無能を棚に上げて他人を批判する輩が多すぎる気がします。そして優秀な人間は自己批判>>>>>他者批判であり、かつ往々にしてそういう奴を無視するか華麗にスルーするため修正をしません。結果後でそのフォローに回らざるをえない中間管理職が苦労する、と。 この真っ当な人間が損をする社会の枠組み、負の連鎖は本当どうにかしたい。江戸時代であれば無礼討ちというとても素敵なシステムがあったんですが・・・もっとも死ねばいいのに、と思う輩は腐るほど居ても殺してやりたいと思う程憎む価値のある生物は居ない罠。まぁそれが蒙昧なる輩をのさばらせる結果に繋がるんですが。 どうでもいいですが。先週くらいから俺が嫌いな相手に、最早直接嫌いと言うのも面倒臭いので言わせるゲームをやっていたわけですが。数々の誘導の末ついに貴方が嫌い、と言わせる事に成功しました。完全勝利です。意図してやったのは二回目。前回はやむを得ず言わせたので良心が痛みましたが、今回は完全に悪意を持って誘導したので笑いが止まりません。大成功。ポイントはどうとでも取れるぼかした表現と沈黙。余計な事は一言だけ言う。そしてフォローしない。電話に出るタイミングも選ぶ。全体的に間の取り方が大事ですね。 しかしご存知の通り俺は嫌いな人間に自分の面白い部分を一切見せないので、この方にも全然素の自分の事を教えてないんですが。よくもまぁそこまで思いつめられるものだなぁと。意図した結果は得られたんですが、あまりに上手くいきすぎて逆に気味が悪いくらいですよ。この方が仮に俺の事を語ったとしても「え、誰か別の人と勘違いしてない?」と言われるレベルで人物像が異なると思います。・・・いやまぁよくある事なんだけども。 ・・・しかしなんだ。それなりの手間かけて俺が得たものって「面倒臭い女から連絡が来なくなった」だけか。割に合わねぇー。そして文章見直してみると暗れぇー。消すか書き直すかしようか悩みましたがこのままにしておきます。数年後悶絶するかもしれませんがそれもまたをかし。 2010/02/15(月曜日) 晴れ [ そりゃあんまりだ ] おーけー。今日はシンプルに行こう。 仮に 俺は馬鹿である。俺は人間である。故に人間は馬鹿である。 という文章があったとします。典型的な弁証法による詭弁ですね。 これに対して俺の想定していた反論は「馬鹿じゃねーの!それじゃお前が馬鹿な事しか証明してねーじゃん。人間全部が馬鹿だって証明にはなってねーよ!」なわけですが。 Aさんはこの文章から「彼は人間である。私も人間である。つまり彼は私を馬鹿だと言いたかったんだよ!」という答えを導き出しました。 ・・・な、なんだってー!(AA略 このあまりにもあんまりな言いがかりにしばし茫然自失。どんだけ俺が嫌いならそんな発想になるのかと。愛がないってレベルじゃねーぞ! 流石にこの方とは縁を切りました。今度ばかりは許しがたい。 俺の意見に対して反論するのはいい。否定するのもいい。むしろ望むところ。 だが俺自身を否定する人間は俺の前に立つ資格がない。ガタガタ言わずにとっとと消え失せろって話ですよ。 まーねー。そこまで嫌われる俺(というよりむしろ俺の文章)にも問題がありますがねー。それにしたって頭が悪すぎる・・・ 2010/02/14(日曜日) 晴れ [ 何故哲学書は普及しないか ] *本日の内容には哲学分が多く含まれており、読んでいて頭痛がする事請け合いなため、哲学的な内容が苦手な方、頭を使いたい気分でない方はスルーする事を推奨します。という前書きを用意したのですが。ここではいつも通りの内容なので何を今更ってやつですね! 原点に戻って図書館から哲学書を借りて読む日々。・・・なのだがどうにも内容が沁みてこない。何故だろうか。 世間一般で言われる小説(実のところ記録媒体は何でもいい。アニメでも、漫画でも、ドラマでも同様であるため、これ以降はこれらを『物語』と定義する)にもしばしば哲学的な内容が登場する。それらの内容は例を挙げるまでもなく、哲学書と較べて沁みていきやすいものだ。ここではそれは何故かについて論考してみよう。 『哲学書』と『物語』の最も大きな差は「人物描写」である。 『物語』においては哲学は登場人物が語るものである。それらは多くの場合ある程度人物の「人となり」が描かれており、どういう思考(嗜好、と変換を変えても差し支えない)経路を辿りその結論に達したかが克明に描かれている。 『哲学書』における哲学は筆者が直接語るものであり、筆者自身の人物像について語られる事は皆無である。否、現代までは皆無であった。例えば近代哲学に大きな影響を与えたニーチェの書においても作者の略歴は冒頭に載っているが、本文の中に彼自身の人物描写は存在しない。どんな人間であったのかがそこからは見えない。 これは大きな差である。 『物語』における登場人物は大なり小なり様々な苦悩を持ち、時に共感を、時に反感を覚えるものである。いずれにしてもある程度以上の「思い入れ」がそこには生まれる。自分と同じ、人間の持つ感情である、という意識が生まれる事によりその内容が沁みていきやすくなるわけだ。 ところが『哲学書』はそういったわかりやすい人物描写がなく、直接筆者の人となりを知る機会を与えない。どうやったらそんな考え方になるのかを推論出来る材料がない。それ故に「何考えてんだ!」状態になるわけである。であるからして自分の哲学から大きくかけ離れた理論を展開された場合、全く受け入れられないという現象が起こる。まだしもわかる内容であってもなかなか頭に沁み込まないのである。 この現象は現代哲学から過去に遡れば遡るほど顕著である。生きている時代、環境、国家、人種、価値観・・・そういった人間を構成する要素が異なっていけばいくほど筆者の人物像が視えてこない。果てはまさしく「想像もつかない」となる。 これこそが『哲学書』と『物語』の最も大きな差異である。 同じ『人間』が描いたものであっても、それを読み取る人間に『語り部』に対する愛、理解がなければ心に沁みていかないのである。 その差異を決定付けた一因が、最高の価値ある事物は独自の起源を持ち、それ自体が一にして全とするキリスト教的思考を否定するニーチェ自身だというのはなかなかの皮肉ではないか。時代が変わり、人が変われば哲学もまた変化を遂げる。その変化の中に彼自身もまた飲み込まれたという意味において。人は神にはなれないという意味では彼自身の正しさを証明しているが。それもまた皮肉か・・・ だが、そうでなくては世代を重ねる意味などない。我々は少しづつでもより良き人間のカタチに近付かねばならないのだから。それが例え過去を否定する事でしか成しえぬとしても、その罪科さえ飲み込んで前へと進むしかないのである。 しかしこー。書いてて自分にも突き刺さるなぁこれ。直接俺を知らないと俺が何言ってるんだかさっぱりわからねぇよ!って気持ちがわかるようになった気がします。なんだか誰と話をしても「第一印象は悪かった」みたいな事を言われて凹む日々ですし。愛がなければ、視えない。まさにその通りですねっ。・・・あれこれが結局ツンデレな部分ってオチなの・・・ 2010/02/13(土曜日) 晴れ [ 続・ばっきばき ] 引き続き整体通い。「あーまずいねこれ。放っておくとヘルニアになるね」・・・マジっすか。頚椎に続いて椎間板まで・・・! どうやら腰のダメージが首、肩、足首、膝と全てに伝達していたようで・・・まさに一つの歯車が狂うとなんとやら。原因はどうやら自転車だったもよう。ショックアブソーバーがないため腰骨にだんだんダメージが蓄積されていくらしい。減量してた頃一日20〜30km走ってたのが良くなかったか・・・軽いスクワットとウォーキング、引き続き通院を命じられました。・・・頑張ろう。 流石に人間四半世紀も使ってるとあちこち痛むなぁ、と実感。順を追って色々メンテナンスしないと。とりあえず内臓は終了したので当面命に関わる問題はないですが。整体が終わったら次は歯か目かな・・・ そろっと花粉の季節なので加湿空気清浄機を買ってみました。 とりあえず順調に動いてます。何か上の蓋部分が勝手にぱかぱかして湿度やらなんやらを調節しているもよう。明日起きて喉が痛くなかったらとりあえず勝ちかしら。 おまけ。運転免許更新しました。使用済み込みで4枚目。・・・8年前より今のほうが若いんだけどどういうことかなっ。ていうか5年前と比べると偽造を疑われるレベルなんだけどっ。 2010/02/12(金曜日) 晴れ [ 真実を写すというのも考え物 ] 友人の結婚式でした。・・・でしたが。どうにも気になる点がいくつかあって、どうしたものか・・・と悩んでおります。 ここでルール確認。赤文字は真実を語っています。それ以外は私見なので事実と異なる可能性があります。 私は一応プロのカメラマンです。友人の晴れ舞台では勿論写真を撮りました。以下は帰宅後整理していて気付いた点。 式での新郎新婦に浮かぶ表情は「決意」。 単純な幸せは見てとれなかった、と友人の証言。ただし無論その表情には日々の仕事の疲れやこれからの生活に対する不安が浮かんでいても不自然ではない。 新郎は生真面目で嘘が吐きにくい人物。結婚式とはいえ無理に表情を作れなかった可能性もある。 誓いのキスを唇ではなく頬にしていた。 新郎本人よりも新郎の父のほうが嬉しそうにしている。 参列者が極端に偏っている。80人規模の式場で二等親族までしか居ない。新郎の友人が多く、新婦側は会社関係の付き合いばかり。ただしこれについては「会場の規模の問題で、参加者の割合を決める時にゴタついたせい」という説明がされている。 結婚を決めたのが11月。 結婚式が今日、2月11日。 12月に結婚式の連絡が来るまで自分を含めた新郎の友人は誰一人新郎に付き合っている人が居る事を知らなかった。 妊娠が科学的に確認出来るのは5〜6週目。9月頃受精したとするとちょうど11月頃には妊娠が確認可能。 2月は9月よりおおよそ5ヶ月目。安定期。比較的動けるようになる。 新婦はかなり太っている。 ・・・もうおわかりではないでしょうか。 この結婚は出来ちゃった結婚である。結婚の宣言が唐突で前フリがなかった事、スケジュールがかなり急だった事、自分達の結婚式だというのにあまり幸せそうでない夫婦の表情、背景に流されていた1年前の写真と比べてかなり太ったように見える新婦。数々の状況証拠はそれを物語っている。 ・・・そこに結婚式があるだけで。私Pruckにはこの程度の推理が可能です。如何ですか皆さん? ・・・と書いてはみたものの自分でも吐き気がするくらい嫌になります。 しかし。結婚式が終わった後即お開きになったので、新郎を呼び出して二次会に誘ったんですが、そこには新郎一人。式直後なのに夫婦で来ない。明日からハネムーンで出かけるから、と二人とも断るならまだわかります。さらに話をしていてもどうにも表情が晴れない。二次会ですよ?昔馴染みの野郎しか居ない飲みの場ですよ?何でお通夜?と疑問が尽きないのですよ。 これに対して俺に出来る事はなんだろう・・・新郎が相談に来るまで何も気付いてないフリをして放っておくべきなのか、さりげなく「何かあれば相談に乗るよ?」とでも言うべきなのか。勿論全てが誤解で、ただ人前での結婚式だから緊張していただけ、ならいいんですが。二次会での新郎の雰囲気、態度がそれを否定してしまう。うーんうーん・・・ 生真面目で、実直で、高校の頃は冗談すら通じなくて、大学を出る頃にやっと冗談を言う事を覚えて、付き合いが良くて、責任感も強くて・・・そんな奴なので抱え込んで潰れねーかなぁと心配で仕方が無いのです。 本当どうしたものか・・・ それにしてもやっぱり写真って良し悪しですね・・・あらゆる意味で色々なものが写ってしまいます。そうだよなぁ。特に組写真はなぁ。新郎新婦の写真と新郎パパの写真並べたら明らかにおかしいって気付けちゃうもんなぁ・・・いやまぁまだ真実は明らかになっていませんから・・・愛がなければ視えないだけなのかもしれませんけども。うん、たしかに新郎はともかく新婦は今日が初対面だから全く愛はないんですがううーん・・・ 2010/02/11(木曜日) 晴れ [ ここでチェス盤をひっくり返すぜ? ] あー。やっぱ便利だよなぁ、悪魔の証明。言葉遊びなんですけども。 ただまぁやっぱ人は自分が見えるものしか信じられませんからねぇ。そういう意味じゃ人を信じるって物凄く難しいと思います。悪魔が居ないかどうかは誰にも実証不可能。しかし連れて来ない事には誰も信じない。というよりは、『い』ると信じる人にしか『みえない』が正しい。愛がなければ、みえない。なるほどなー。 人の善意を信じる、というのは即ちその人を愛するって事。 心は、みえない。みえないなら想像するしかない。想像し、自分の心の中に創造した人物像がいかなるものであるかは自分の心が決める。実際にその人がどんな人かは一切関係が無い。良くも悪くも。 だから、その人が良い人か悪い人かは。愛があるか、ないか。 愛がなければ、人の心の光はみえない。この世のあらゆる事柄が善意から生まれたモノであるとするには。愛が必要なわけですね。 ・・・しっかしやっぱキリストさんはたいしたもんだ。2000年以上も前にこの結論に達してしまうんだからなぁ。 これを2000年以上も前に人類が真理に辿り着いた、とするか。2000年以上も進化してない証拠だとするか。それもまた、愛があるか、ないか。深い、深いぜヲイ・・・ どうでもいいですが引っくり返すのってチェス盤だけじゃないですよねぇ。囲碁もそうなんですよ。相手が打たれて一番痛いところに打つという思考方法。最も恐ろしい事に囲碁はこれをさらに利用した反撃方法もあるんですが・・・真似碁といって相手が打ってきた手に対して天元を中心に対角線上に鏡のように打つ手があるんですが・・・これを使って相手を壊滅に追い込む方法があるんですよねぇ。将棋?チェス?くだらんなぁぁぁぁ。そんな有限の中の探りあいなんざぁ無限に勝てるわけがねぇだろうがああああああ。と思わなくも。・・・まぁそれ故に難しすぎて普及しないんですが。 2010/02/10(水曜日) 晴れ [ ばっきばきにされた ] 昨日の仕事の後余りにも右肩が痛いのでこりゃ何かある、と思い休みを貰って整骨院へ。 ・・・案の定ずたぼろでした。首の付け根が軽い捻挫を繰り返していて、それが原因で肩こりに。骨盤も歪んでおり、今治療しておかないとそのうちぎっくり腰起こすよとかなんとか。さらに左足首は捻挫を繰り返しすぎて骨が外れる寸前。放っておくと左足の側面の骨が折れるとか言われる始末。 トドメに高校生の頃痛めた左肩はもう少しマシには出来るけど根本治療は無理と言われました。骨ごと変形しているそうで・・・やっぱ人間長年生きてるとあちこちガタが来ますねぇ・・・ しかし行った甲斐あって全体的にかなり良くなりました。しばらく通院を命じられてしまいましたが・・・まぁ諦めてフルボッコにされてくるしか! 以下戯言。 各所でラノベの定義について色々物議が醸し出されていますが・・・自分の定義はとても簡単。「通勤電車の往復で8割読める事」。まぁその通勤時間がどれくらいか、という問題は勿論あるんですが。概ね2時間くらいで粗方読めてしまう、大筋がわかってしまうのがラノベだと思ってます。 要はページあたりの文章量がさほど多くない事、読解難易度が低い事ですねー。馬鹿にしてるんじゃないですよ。そういう風に物語を短く纏めるスキルの方が高度なわけですし。 とりあえず今更ながらにうみねこのなく頃にEP4まで終了。・・・あれですね、世界のルールが前回のひぐらしほど非道くないのでまだマシだと思います、はい。細かい推理が難しいのは同じですが、まだ道が見えますし。 2010/02/08(月曜日) 晴れ [ 空虚な世界と酔っ払い ] 前提条件。復唱要求。俺は酔っ払っている。 他人に期待を持たない事。そうすりゃたいていの事は楽しめる。この門をくぐる者、汝一切の希望を捨てよ。全てはその言葉が示す通り。 俺はあの門の前に立つだけで代償として文字通り息の根を止められた。小学四年生の時だった。恐らく時間にして10秒程度だろうが。識っているのだ、俺は。ならばやはりあの扉を開いたならば。腕の一本、或いは身体丸ごとなんてのは当たり前。それはどうでもいい事か。蛇足だな。 とにかくどいつもこいつも他人に期待しすぎなんだよ。そいつを持たなきゃ幸せに生きるなんてのは難しくねぇってのによ。何でだ。 俺を世間知らずと言う彼女。叔父貴。知らなくていい事は知る必要がない、と言い切る生涯でも数少ない友。どっちが正しいんだ。何を糧として生きりゃぁいい。楽な生き方はわかってる。在るがままで受け入れてくれるほうだ。だけどそれでいいのかって自問自答は何時だってある程度にゃ悩みのある生活は送ってるつもりなんだがな。心なんてこうして言葉にしないと見えない。でも言葉に出来る感情なんてたいした事はない。それも道理だ。そうやって沈黙を守った先に何かがあるならそれでもいい。けどその先には何もねぇ。ねぇんだよ。過去も、明日も。ただあるがままの今日が明日もあるだけ。明日なのに今日。苦痛って言葉の代名詞じゃねぇのかそいつは。頭が痛てぇ。暇人の戯言だってんならそれもいい。たわごと。ざれごと。去れ事。喉元過ぎれば熱さ忘れる、されど気付いてからではもう遅い。そんな緩慢なる毒にゆっくり満たされて腐り堕ちて逝くのに耐えられるならそれもいい。いいや、駄目だな。全然駄目だぜ。それは死ぬよりも苦痛であると知れ。死ぬのは逃避だ。寝るよりも楽はこの世になかりけり、だ。いずれ永眠する身でどうして惰眠を貪れる。生きてる間くれぇはフルに頭使わねぇでどうするんだよ。 本日の酒量。生中3杯。そば湯割り2杯。ウーロンハイ2杯。ビール缶1本。弱くなったなぁ。ククク。ハハハ。 この程度で。こんなザマだ。ノイズだらけの俺に何を期待するんだ。何で俺なんかにありがとうなんて言うんだ。それは絶対に違う。俺には貰ったもんを返してるだけだ。じゃなきゃあ反動がなきゃおかしいんだ。だから何も起こって無い俺の身が証明してる。等価交換だからな。全然問題ないっすよ。いや、この有様と非道い頭痛が足りなかったコストだってんならそれも納得だがたいした事じゃあねぇ。寝て起きりゃあ元通りだ。 ま、それが一番幸せなんだけどな。世は並べて事も無し、だ。変換合ってたっけか?まぁいい。最大の問題はこうして生き恥をわざわざこんなところに晒す俺か。だが他人に一切の希望を持たない、しない程度に「 」な俺にはこれも楽しめるってもんだ。 2010/02/06(土曜日) 晴れ [ 理由は無いはず・・・ ] 毛糸のマフラー 錆びた銅 他人の指先に付いたチョークの粉 ・・・なんだろう、明確な理由は無いんだがなんとなくぞわぞわするモノ。都合が悪いから消してしまった記憶の中に答えはあるのだろうか。だが消した事さえ覚えていない俺には意味のない事だ・・・ 数学における証明とは、自明がある事を前提に公理を積み上げる事だ。0が0であるという事が自明である、という前提がある。 哲学においては自明という存在そのものが疑わしい。否、厳密に言えば自身にとって「自明である事」が他人にとっても自明であるのを証明する、或いは他人にとってもわかりやすい形にするのが哲学と言える。 私の未熟さ故か私が現在誰にとっても自明であると証明出来る事柄は一つだけである。人がいつしか辿り着く先が死である、つまり数学で言うところの零であるという事だけだ。 しかし、零が自明であるからこそ我々は自我を確立出来るのではないだろうか。零があるから一を積み重ねられる。唯『一』を創りあげられるのである。 それ故のメメントモリ。我々はそれに囚われる事なく、しかし忘れてはならないのである。困難な道だが、それが死ぬために生まれた人間の運命であろう。 2010/02/05(金曜日) 晴れ [ 足りないっ・・・!飢えがっ・・・! ] 免許更新のお知らせが来ました。最終違反日が平成17年6月18日。誕生日(更新日)が平成22年3月11日。 3ヶ月っ・・・!足りない・・・!思い込みっ・・・!勘違いっ・・・! 俺はクズだっ・・・!所詮日陰者・・・!日向の窓にいくら憧れたところで届かないっ・・・!後一歩なんて幻想を抱くのが身の破滅っ・・・!最初からそんな夢を見ちゃいけなかったんだっ・・・!現実はそう甘くない・・・! だがまだ死んでねぇ・・・!終わってねぇ・・・!逆に考えりゃこれで何をやっても堕ちるところまで堕ちるだけ・・・!運が悪けりゃ死ぬだけ・・・!その開き直りが大事・・・! 世の中には勝者と敗者が居るんじゃあないっ・・・!挑んだ者と最初から何もしなかった奴が居るだけだっ・・・! 挑めっ・・・!失敗というのは・・・いいか、よく聞け!真の失敗とはっ・・・!開拓の心を忘れ!困難に挑戦する事に無縁のところに居る者たちのことをいうのだ! ・・・お前は何と戦っているんだというつっこみは受け付けません。何でカイジノリなのにラストだけSBRなんだというつっこみも受け付けません。 *一応解説。 優良ドライバー認定(いわゆるゴールド免許)は5年間無事故無違反で貰えます。年度しか覚えてなくていける!と思い込んでたんですが、更新通知葉書を読んでみたら実は4年9ヶ月しか経過していなかった、というオチ。そんなわけで思う存分ざわざわしてください。 2010/02/04(木曜日) 晴れ [ 実は反動だったのだろうか ] はいっ。というわけでございましてネ。電波すぎる内容のせいかそもそも見ている人が居ないのか、見事なまでに反響はありませんでした!予想通りですけどネ。 しかしこー、あれなんですかね。えー、実は最近の僕の言葉は言霊で魔力を持っていて、最近のあれこれは魔術の発動コストだったんでしょうかネ。お釣りを貰っていた的な。まーねー。随分頭悩ませる事件多かったですからネ。無駄かどうかはわかりませんケド。時間を取られたのは間違いないないですからネ。えーいわゆる等価交換ですかネ。 時間エネルギー説には実は人間に都合の悪い事も含まれてましてネ。呪いの反動が呪いの類でしたらなんというかただの因果応報なんですがネ。何せエネルギーですから良いも悪いも、自覚も無自覚もなく「行使した」だけで反動が来るんですネ。 やーちょっと反省した事がありましてネー。僕の友人なんですがネ。これまた非道い奴なんですがネ。どうあってもまともな死に方出来ねぇだろこいつみたいな。そいつがネ。つっぱってった頃ですか。よく首から18金のネックレス下げてたんですヨ。ぶっといのジャラジャラ。今思うとネ。あれ実は触媒だったんじゃないかってネ。反動を避けるためなのか逃がすためなのかはたまた発動コストとしてちょっとづつ磨り減ってたのかはわかりませんけどネ。まーでも効果あったみたいで、非道い事やってる割にさほど非道い目に遭わないんですヨそいつ。 で、振り返って自分アクセサリとか付けないんですヨ。腕時計なんかも嫌いでネ。車運転するのに邪魔だとかそもそも鬱陶しいとか色々あるんですがネ。まーでも魔術を行使する身としてはやっぱり必要だと思いましたネ。 そんなわけで色々探してるんですが、これまた難しくてネ。触媒としては僕の誕生石が妥当かナ?なんて見てるんですが場所によって全然違ってネ。まず誕生月石。3月。日本だとアクアマリン、ブラッドストーン、サンゴ。もう3つもあって困りますネー。そしてフランスだけは何故かルビーなんですよネ。次、星座石。アメジスト。で最後に誕生日石。イネサイト。聞いた事もないですネ。調べてみたら割とレアな鉱石だとか。占いに付き合い下手とか書かれちゃってますネー。否定できませんケド。 何にしてもわけわかめーって感じですネ。アクアマリンとルビーはどう見ても反属性ですし。でも、混ぜるとアメジストというか紫色にはなりますネ。宝石関係ないですケド。まー何か安そうで目立たないの一つ見繕いますかネ。理想はペンダントですケド。外に出さなきゃバレませんしネ。 おっとここでお時間となりましたネ。はい、お付き合い頂きありがとうございました!それではまた次回〜! なんとなく悪ノリDJがやりたかった。反省はしていない。 ・・・「じかい」の一発変換が自戒だった。やはりどうかしていると思った。 ちなみに最近ちょっと口語体で書いてるのは無論アレの練習ですよ。ええ。 2010/02/03(水曜日) 晴れ [ 時の魔法 ] 人を呪わば穴二つ、という表現がある通り古来より魔術を行使する、という行為には必ず反動がある。 何故か。それは「エネルギー不足」の一点に尽きる。人を恨む力はあくまでその人を動かすための原動力であり、魔術の発動コストとはなりえない。否、幾分かはなるかもしれないが、圧倒的に不足しているのである。 その不足を補うために術者の生命が消費される。ように見える。 が、西洋における生贄の羊を見ればわかる通り、発動コストは別段自身の生命ではなくても良いわけである。それは本来おかしい。自身の望みのために使うエネルギーが他者のエネルギーでも発動出来るのは不合理である。 そこで私は「時間の流れそのものがエネルギーである」という仮定を思いついた。これならば他者がそれまでに生きてきた事で蓄積した「時」をエネルギーとして取り出す事も可能なのではないか。 わかりやすい例が吸血鬼だ。彼らは血を吸うという儀式により他者を老化させ、自身のエネルギーに変えるが、実のところ老化は副次効果であり、本質は「時」を吸い取りエネルギーを得る行為である。 科学サイドにおいても同じだ。エネルギーの大元を考えてみればいい。例えば車はガソリンで動くが、ガソリンそのものがエネルギーを持つのでは無い。「ガソリンを精製するのにかかる『時間』がガソリンのエネルギーとなっている」のである。エネルギーの蓄積媒体が有機物か無機物かの差はあれ、原理は同じ。 但し、これを実証するには電池ではなく時の流れで秒針の動く時計を開発しなくてはならない。「この電池にエネルギーを蓄積させたのが『時』である、故にこの時計は時のエネルギーで動いている!」と叫んだところで流石に誰も同意すまい。このあたりが思考実験が思考実験でしかない悲しさか。 この思考においても事象地平面に突き当たる。この理屈ならば時が流れる事により宇宙がエネルギーに満ち、生命に満ちた事は説明出来るが、では始まりの零は?となるわけである。時は何故流れ出したのかについては仮定すら出来ない。 それこそが神の領域。人類はそこに到達出来ない限り種としての進化は無いのではないかと思う。私は生きてそこに辿り着く事はないだろうが、いつの日か、人類の精神が到達出来る事を願い、その一助となる事を祈りこの文を記す。 2010/02/02(火曜日) 晴れ [ とある本屋の禁書目録 ] 2月になった。近頃の俺の意識は不安定な状態で安定しており、悪くない。意識が安定しないのではなく、意識を向ける先が安定していないだけ。移り気な奴だ、なんて言われるかもしれないが、そんな評価も悪くない。Nothing bad is goodって奴だ。いや悪い事はたった今あった。うっかりブラウザの戻るを押すという大惨事が。毎度毎度懲りもせず・・・長文なんだからテキストエディタでも使やあいいのにな。だがそうして新たに出来た同じような内容なのに何処か違う文章を眺めるのも悪くない。 しかしよくもまぁポンポンポンポンと言葉が出てくるもンだ。そんなに伝えたい事なんてあったっけ?とも思うぜ。だが余りにも長い眠りから目醒めた俺の意識は「もう我慢しなくていいだろ」と訴える。惰眠を貪り続けた私の肉体は「もう手を抜くな」と訴える。そしてそれを受けた統合体としての俺は「ならば」とばかりにペンを執り(実際にはキーボードを乱打する作業なのだがそこはそれ、詩的表現という事で容赦願いたい)ある事ない事書き立てるのわけだ。・・・すまん嘘吐いた。ない事ない事だな。俺はノンフィクション作家じゃねぇし。こいつを書いてるのが誰だ?って問われりゃ実在の人物とは一切関係のない架空の人物です、なんて迷わず答えるだろうしな。 何かを問われる事がある。それに対して俺はたいていの場合自らの中にある言葉の中から最もその場に相応しい言葉を選んで答える。傍から見ればその行為は「他人の言葉尻に乗っかってわかったようなフリをしている」ように見えるだろうが・・・別にかまやしねぇよそんなもん。 人は本音を話すのが怖い生き物だ。自分の言葉で語って、それが受け入れられないのが一番怖い。それなら、帳尻合わせに過去の人の言葉でも引っ張ってきてお茶を濁して嫌われるほうがまだ楽じゃねぇか。それは自分を否定された事にはならないから。傷付かないからだ。 気に食わねぇのはわかる。本音を語らない人間なんざ誰も信用しねぇ。だがお前、人がせっかく本音を語ってんのに人格ごと否定された時の悲惨さっつったらないぜ?本当の事を言え、なんて言われて「はい、事故に見せかけたり精神的に人を追い詰めて今までに3人殺しました。楽しかったです。スッとしました」って素直に答えたら「貴様は人間の屑だ、生きていちゃいけないんだ!」なんて言われたりしてな。そりゃあないぜ、と当時は思ったもんだ。やっぱ本音は内に秘めるものだなぁってな。 それでもよ。ありのままの俺でいいって言ってくれた人に。ありのままの俺を伝える事が出来た。結果は伴わなかったけどよ。それは素晴らしい事だと思ったぜ。 そんなわけで今の俺は、俺の中にある、俺の中にしかない、俺だけの言葉で語るようにしてる。他人とぶつかるのは宿命だ。足りないものだらけで、不器用でどうしようもねぇ欠陥製品だからな。名は体を現す。俺のP『ruck』って名前はいつだってありとあらゆるものが欠けてるんだ。人に好かれる事だの理解される事だのは諦めてもいい。だがよ。人と関わりあう事まで諦めちゃいけねぇよな。 ・・・すまん嘘吐いた。俺が俺の言葉で普段あまり語らないのは本音を話すのが怖いからじゃねぇ。否定する奴ぁ俺の世界から消えてもらうだけだしな。 ぶっちゃけ本当の本音は、文面というか言葉を考えんのが面倒臭いからってだけなんだ。既にあるものを加工して使うほうが楽に決まってっからな!かはは! パクり?パロディ?馬鹿言え、こちとら引用する言葉にゃ愛があるんだ。オマージュだっつーの。 2010/02/01(月曜日) [ 花は移ろい人は移ろう ] 主無き 庭に佇む 梅の花 主亡きとて 花は移らふ 春遠き春、隣家の庭にて僅かに綻ぶ梅の花を見て詠む。 東風吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ とまで傲慢にはなれそうにもなく。過干渉と申しますか過感傷と申しますか。 空の境界を読んでいたところ「人が死んでも存在が消えるわけじゃない。記録が残る限りその人の存在は残り続ける」的な表現が出てくる。似たような事を昔私も考えていた事から、何か元ネタがあるはずなのだがどうにも思い出せない。歳だからだろうか。 私の場合は、「知っている人、覚えている人が居る限りその人物の魂は現世に囚われ続け、消滅も転生も出来ない」といった感覚。そんな根拠はないが確かな感触に「嗚呼、英雄、或いは英霊というのも難儀なものだ。簡単に成仏も出来ないのだな」と思った記憶がある。 かつての人々は偉人を威霊、脅威するべきものとして崇め奉り、自分で殺した相手の鎮魂を願った。 おそらくこの感覚は死んだら神様になる、という仏教の教えと、神様というのは基本的に『荒ぶるもの』であり、何かを願い縋るものではなく、むしろ「どうか何もしてくれるな」とご機嫌を伺うものであるという神道の教えの混ざり合った日本独自のものが根底にある。 この感覚は神道における荒御霊、和御霊の概念に根源があるため、それをある程度理解していないといけないというまたしても難易度の高い話ではあるが、日本人なら誰しも持っている感覚のはずである。明確に意識しているか、理解しているか、「認識」出来ているかの差はあれど。 愛しさ余って憎さ百倍、ではないが菅原道真という非業の死を遂げた人物、そしてその和歌が現代においていまだ愛され続けている事を考えると、あらゆる面において英霊に相応しい存在であったのだろう。同時にいまだ現世にその魂も囚われている事は、当人にとっては不憫であるなぁと感じるが。 しかし英霊となり、現世に縛られるというのは悪い事ばかりではない。こうして未だに我々の心に感じる何かを残しているのだから。むしろ記録にも残らず、記憶にも残らず、残滓さえも消え世界へ融け逝く魂のほうが悲しいように思える。 せめてもの代償として、願わくば名も亡き御魂に安らぎを。 おまけ 多分俺の哲学のベースは「同級生」なんですよねぇ。エルフの。かなり名の知れたエロゲであり、メーカーではありますが、どちらかといえば評価されたのはエロ要素よりもシステムや節々に挟まれた小ネタだと思います。ぶっちゃけ女の子達よりも前髪で顔の隠れた主人公達が好きでした。彼を形作った恐らくいい年したおっさん共の人の良さと言いますか、哲学っぷりが素晴らしい。立場的にプレイヤーの分身でありながら自己主張全開、顔がないのに「俺は俺だ!」と全力で叫ぶような台詞の数々。それもそのはず、登場する女の子は男性の理想としての「作り物」ですが、主人公の性格だけは「本物」ですから。そう、実は彼はプレイヤーの分身ではなく、作者の分身なんですよ。それでいて、万人に好かれる人物でなくてはならないからいわゆる男が惚れる男が出来上がる、と。実際に居たら多分女性からすると嫌な奴なんでしょうけどねぇ。腕っ節が強くて、自信家で、浮気性で、誰にでも底抜けに優しくて、譲れないものが多くて、小難しい理屈を並べ立てて、それは表面上で実は一途で・・・憎めない。あれどっかで見た事あると思ったら冴羽さんじゃないですか。うーんそうか・・・ 2010/01/31(日曜日) 晴れ [ 時代の潮流 ] 近所の図書館に空の境界がありました。ちょっとびっくり。まぁ劇場化された作品ですしねぇ。時代が変わった、とするのは早計でしょうが。 昨今のラノベ偏重傾向は「売れるから」致し方ないですが、表現の簡略化、簡素化、貧困化は避けたいところ。映像作品は人間から想像力を奪い、ますます人間が馬鹿になっていくみたいな話がありましたが・・・否定出来ない側面はありますね。私如きの文章で「難しくてわからない」なんて感想が出るくらいですし。これでも相当表現は平易なものを選んでいるつもりなのですが。 同じような事柄を表そうとした時に、世界でも有数の豊かな表現を持つのが日本語の魅力。例えば「春」という季節を表す時、麗か、長閑、暢気、仄々、駘蕩、山笑う、水温む、漲る、春嵐、翌なき、風薫る、花開く、風光る、冴返る、と数え上げればキリがないくらい出てくるのは世界に数多ある言語の中でも日本語だけではないかと思います。というか思い浮かんだだけでもこれだけとか多すぎじゃ。 インターネットの時代なんですから簡単にわかりませんなどと言わず調べなさい、と思わなくも。こんな時代だから書けるようになれとは言いません。俺も書けと言われりゃ粗方書けませんし。でも読めるようになるだけならたいした努力も要らないと思うんですよ。以前使った書肆なんて言葉もぶっちゃけこの歳まで知りませんでしたよ俺。でも調べりゃどっかしらには載ってますからねぇ。 もう一歩踏み込んで使えるようになれれば完璧ですが、流石にそこまでは万人に求めていません。とはいえ。せっかく日本人に生まれたんですから日本語を使いこなせたら素敵だと思いませんか。思いませんねそうですねすいません。 2010/01/30(土曜日) 晴れ [ 補足、或いは蛇足 ] どこぞの名探偵の決め台詞に「真実はいつも一つ!」なんてのがありますが。ありゃあ嘘だな!ジオンに兵無しと同じレベルの嘘ですよ。 起こった事柄に対して事実は一つしかありません。 ですが真実は人の数だけある。殺人事件であれば、犯人は人を殺すのが正しいと思ったから殺したんであって、それが一つの真実であり真理。探偵はそれを暴き、白日の下に曝け出すのが正義であり真実。と双方が思っているわけで。こんなにも違うレゾンデートルを「一つ」とするのは余りにも乱暴すぎるかな、と。 さらに言えばどちらにも真の正義などありはしませんからねぇ。 犯人を最悪の場合死に追いやる推理、告発を行った探偵が果たして正義であると言い切れるか、と。 殺されるほど人に憎まれた被害者は悪でないと言い切れるか、と。 結局のところ我々に出来るのは『自らの正義』という名の『世界に対する悪』を行うために生きる事だけなんですよ。 貴方の常識、世間の非常識って奴です。 自分が正しいと思う事をやろうとする事、我を通すという事、それ自体が悪であると認識した上で。或いは認識出来たならば。 世界、或いは他人を壊さない程度に悪を成す事も出来るはず。 それが上手く生きるという事ではないでしょうか。 やりすぎると色々問題になりますしネ。ま、やっぱり何事もほどほどが良いというお話。 2010/01/29(金曜日) 晴れ [ 刹那の閃き ] 世の中に私の正気を疑う人は居るが、私が書いた文章について「本当にそう思っているか」を疑う人は絶無である。今のところ。 混同されがちだが、「考えていること」と「思っていること」は違う。 「考えていること」とは他者の思想や思考実験から導き出された借り物(仮り物)の思考、論理、倫理であり、発言者(発信者)本人の思想、性(さが)、生き様ではない。 「思っていること」とは本人のそれまでの経験から来る直感的な解答であり、「実感」せしめた者のみが言葉に出来る、まさに血と肉を持ったものである。 残念ながらこの二つを同一視する人間が非常に多く、そこから多くの誤解や諍いが生まれる傾向にある。 勿論中には統合性が高く、この二つが同一である人間も居るのだが、少なくとも私の場合はその二つは完全に乖離している。 それがこのような文体である理由であり、文章から受けるイメージと現実に存在する本人とのギャップに繋がっているのである。 尤もそういった誤解は、この文章を閃く以前の私が意識して叙述を行えていなかったところにも原因があるが・・・微塵も正しいと思っておらず「考えていること」や、本当はどうでもいいと「思っていること」に対しても等しく締めくくりに「思う。」という表現を使ってしまっていた我が身の未熟さである。 それにしても。やはり重要なのは「認識すること」であるなぁとしみじみ実感する今日この頃。「考えていること」を「認識」し、「実感」した時、初めてその思考は「思っていること」へと変貌を遂げるのかもしれない。そのあたりの煩雑とした思考経路は私自身も未分化であるが。 2010/01/28(木曜日) 晴れ [ 固有結界 ] コミュニケーションの不足が要らぬ諍いを生む、と。ムズカシイ。逆に言えばそういったぶつかる時期がないと人間関係なんて長続きなんてしないのかもしれませんが。何はともあれ一つ問題が片付いた事を今は素直に喜びたいと思います。 固有結界。術者の心象風景で現実世界を塗りつぶし、世界そのものを変えてしまう結界のこと。結界の内部の世界の法則は術者の心象世界を体現する。 例として、とある英雄の固有結界は何処までも続く荒野、背景としての歯車、そして大地に突き立つ剣だった。詳しくはFateWikiを参照。 具現化はさておき、誰しもが持つ心象風景。そこから見えてくるものを今日は考察しようと思う。一応書き加えておくと、これは実際に私が見た夢の光景であり、そこからの考察であるため、必ずしも現実の私自身と合致するかどうかは保証しない。 私の固有結界名は螺旋の書肆-The Screw head book mart-。 その名の通り無限に続く石造りの大螺旋階段と各階層の踊り場にある書店を特徴とする世界。時折意識と無意識の狭間、夢の中に登場する、現実には最早存在しない風景をモチーフとした世界。 この世界にはいくつかの興味深い特徴がある。際立って特徴的なものは以下の三点。 ・図書館でも書庫でもなく書店である ・内部に『客』が存在する ・石造りの階段自体は中世では珍しくもないが、むき出しの御影石である事、手すりに彫刻はあるものの絨毯等の華美な装飾がない事 が挙げられる。この世界観を作り上げたのは紛れもなく私自身の無意識であるが、日常さほど意識しないその意味について改めて考察をしていくと、私の思想も見えてくると思う。 ・図書館ではなく書店である これは恐らく『私から知識を得るには対価が必要』だと思っている事を示している。レジスターが無い事から対価は必ずしも現金である必要はなく、むしろもっと価値のある何かを求めているように見える。この思想はそのまま、「私の最も面白い部分はどうでもいい他人に見せるものではない」、「親しい人間以外には何一つ与えるものはない」という私自身の対人関係の意識にも繋がりそうだ。もっともこれについては単純に現実で訪れる回数が圧倒的に書店>図書館である事が関係しそうだが。 ・内部に『客』が存在する 自身の心象風景にも関わらず他者が存在する。なおかつ夢の中における自身も『異邦者』である。これは精神世界としてはかなり特異で(夢としてはメジャーであるが)、いくつかの推察は出来るが、確かな事はわからない。客は全て自分のペルソナ(別人格)であり、複数居る自分がそれぞれ別のものを求めているという考えや、インターネット上にこのサイトのような外部に開かれた空間を持っている事から、外部記憶装置であるこの場所と夢が繋がり、そこから『客』も入ってきたとする考え、実は『客』もまた展示品であり、過去に出会った人々が心の中に息づいている、等の仮定は出来るが・・・自身もその不思議な光景に戸惑うばかりである。 ・石造りの階段 これはわかる。間違いなく今は亡き我が母校、京橋小学校の階段がモチーフである。切り出しの御影石。金属製の滑り止め、木製の手すり。違うのは果てが無い事と螺旋構造だけだ。興味のある方は京都国際漫画ミュージアム(元龍池小学校)の階段が最も造りが近い。建物全体の雰囲気も良いので一度観てみる事をお勧めする。 ところで。 この螺旋階段、実は二層すれ違い方式(踊り場で左右に分かれて各階層は中央で合流するタイプ)である。 各階層側は書店。・・・では踊り場側は? ・・・宇宙である。本来建造物であれば壁があるべきその場所には漆黒の闇が広がっている。 招かれるべき客は光あふれる静謐な空間へ。 招かれざる客は因果地平の彼方へ。 私自身の精神世界としてこれほど相応しい光景は他にない。 これこそが無限の書肆の最大の特異。我が固有結界である。 願わくば汝が我が招き容れるに相応しい者であらんことを。 さもなくば・・・ *どうでもいいですが書いててちょ→楽しかった。厨二病全開ばんざーい! 2010/01/26(火曜日) 晴れ [ 貴方は何を信じますか ] 様々な言の葉が浮かんでは消え、あやふやな容を取ったのを意識が認識した瞬間また無意識の狭間へと融けてゆく。こういった状態は久しく覚えがない。良し悪しは別にして、今の精神状態というのはなかなか面白いものがある。 尤も、たいていの事柄は楽しめてしまう私が少々異常なのかもしれない。 他人に貶されようと貶められようとそれもまた一興。 そういったケースに遭遇した場合、反論、反証はいくらでも出来るのだが私はあえてその場ではしない。親しい友人にしか。最も面白いであろう私というものを、そんな赤の他人に見せる理由がないからだ。「つまらない人間だな」と思われたほうがつまらない人間を楽しませるより余程良い。 閑話休題。 政治家の支持率、信任問題というのは貴方は神を信じますか?という問いそのものであると思う。 神様、そして政治家の何を信じるかが問題だという意味においてだ。私はその問いに対して『ライト』であるか、と答える。一神教の神様で言えば正しく世の光(Holy light)であるか。政治家であれば正しい資質(right staff)を持つかだ。 つまり真の聖人、或いはイデアとしての政治家とは、正しい資質を持ち、その力で世を照らす必要があるのである。 そこまで立派になれとは言わない。 が、しかし。現代の政治屋に最低限の自覚はあるのだろうか。右を向いても左を向いても正しき方向へ導くべき国民を放り出してマネーゲーム、パワーゲームに明け暮れているようにしか見えない。支持率、選挙、利権、不正、そんなものよりも先にもっと大切なものに気付き、目覚めるべきではないだろうか。 本当に大事なのは万人の幸福を思い、それに挺身する事である。殉教という言葉は教義に殉じる事ではない。人々に何かを教え、伝え、導く事に殉ずる事である。私はそう思う。 情報が氾濫し、善悪と好悪が入り混じる世界。貴方は神を信じますか?政治家を信じますか?という問いの以前に貴方は何を信じればいいかわかりますか?という所から始めなければならない現代。選択肢の多さに戸惑うばかりで周囲が見えないのは私も同じであろう。しかし、それでも。地に満ちる塩の一粒として、光の粒子として、世を照らしたいものである。 2010/01/22(金曜日) 晴れ [ そんな手に・・・ ] 汚いなさすが西尾維新きたない。 いやダブルダウン勘繰郎とトリプルダウン助悪郎の文庫版が出ていたので読んでみたんですが・・・素直な感想はブロントさんでした。言葉遊びは楽しい。けどずるい。 戯言シリーズから思ってましたが、やっぱりミステリーとして読んじゃダメだなぁ。ラノベと思わないと。そういうカテゴリの括りを本人は嫌がるんでしょうが。ちゃんと推理ものだった!と思ったのはクビシメロマンチストだけです。あれも人物特性を利用した少々ずるい作品でしたが・・・ それにしても精神状態が悪い時のほうが仕事は捗ります。余計な事を考えたくないから手が進むというか。手を止めると余計な事を考えるというか。 心をニュートラルに持っていくのは難しい。常にニュートラルでいるよりは簡単なんでしょうが。そう実感します。価値観のすり合わせが必要な人間とまともなやり方で付き合おう、などと考えてゲシュタルト崩壊みたいな。そもそも整合性なんてあったのかよとつっこまれそうですが。あんまりありませんね。常に起こしている、とさえ言えます。一個の群体としての自我が希薄で、突出した何かがあちこちから突き出ている感触。一つ一つが別人といっても過言ではありません。24人のビリーミリガン。そんなには居ないと思いたいけど。読点毎に本当は書いている人が違うんだよ、なんて言っても誰も驚かない気がする。あはは。そういうやり方、書き方があるってだけで本当に分裂してるみたいな勘違いをされると困るんですがねぇ。でもそれはそれで本人からすれば楽しいんじゃない?読んでいる人は置いてけぼりだっつーの。それが何?他人と同じである事に何の価値があるんだ?あるよ、ちゃんと。個性はあっていいんだ。違っていいんだ。でもそれを争いの種としてはいけないんだって。言ったのは俺じゃない。そうだね、僕だね。いいや、彼だろう。しかしこの文章そのものがゲシュタルト崩壊を読み手に起こさせそうだなをい。をいって懐かしいなをい。(苦笑)。それも懐かしいなぁ。 雪のように降り積もった他人の言葉が今の自分を創っている。それを否定する権利は誰にもない。自分自身にしかない。前提を間違えたやり方をする相手に何故無理に合わせる必要があるのか。合わせたら合わせたで「これは君の中にあった悪意だよ」ときちんと説明しているのに悪意を増大させていく。そんな負の連鎖が始まるというのに。 ダメな奴は何をしてもダメ。無理なものは無理っ。嫌な悟りを開いたなぁまた。いいからひと眠りしてこいや、な?何だかカワイソウな人みたいだよお前。 ところで。誰も見てないからやりたい放題!と思ってましたが、ログを見ると3ヶ月で10人くらいは見てるみたいです。・・・奇特な方が案外多いものですね・・・ 2010/01/21(木曜日) 晴れ [ 10 years after again ] この文章をいったい誰に読ませたくて書いてるの?と訊かれた。 しばし逡巡した後出た答えは「10年後の自分に」だった。8年くらい前の自分もそう答えていた。 だったらオフラインで書けば良くない?と言われた。 その通りだと思った。 悲しいほどに人は同じ過ちを繰り返して、傷付いていくんだなぁ。 考えてみればこの問答はやっぱり昔あって。それでやっぱりぶつかって。言っていい事と悪い事があるって怒られて。いまだに俺の価値観では何故怒られたのか、何がいけなかったのかわからなくて。だから同じ事の繰り返しになる。 価値観の溝は埋められない。俺は何でも曖昧にして妥協する事が出来るくらいには大人になったけど、そうでない人と出会ったらどうしていいのか全くわからなかったし、いまだにわかってなどいない。 いっそ大喧嘩でもしてお互いスッキリ出来ればいいのだけれど。 結局そこまで決定的に人に嫌われたくはないんだろうな俺は。 ・・・の割に人の好き嫌い激しいのはなんでだろう。うーんうーん。きっと真実は自分の手の中に。でも人は自分自身の事が一番わからないジレンマ。あー困った困った! 2010/01/20(水曜日) 晴れ [ 悲劇ばっかり ] 好きだった絵本、童話は何ですかという質問に対してパッと出てきたのが「ないたあかおに」、「かわいそうなぞう」、「幸福な王子」でした。シェイクスピアか俺は。どんだけ悲劇が好きなんだと。 『悲しいのが好きなほど人に囲まれてないからご機嫌な奴が好き』という歌があるのですが、そう考えると自分が幸せな人は悲劇が好きなのかもしれません。或いは自分が物質的に幸せでも精神的に不幸だからという可能性も考えられますが。 そういえばmixiのコラムに「かもしれない等の仮定が多い人は主張がはっきりせず、コミュニケーションが苦手」みたいな事が書かれていましたが、自分自身の事ならともかく他人様がどう思うかについては想像するしかないわけで、断定的な書き方なんて出来ないと思うんですがねぇ。俺に言わせりゃそういう事を「こうだ!」と言い切れる人間のほうが余程胡散臭いんですが。 それにしてもつい先日ペルソナシリーズのイゴール役だった田の中勇が亡くなったばかりだというのに、ガンダムのドズル中将役の郷里大輔まで自殺とは・・・ブライト艦長も逝きましたし、本格的に声優の世代交代が始まりましたねぇ・・・ 2010/01/18(月曜日) 晴れ [ だから寒いってヴぁ ] 福島県の二本松というところまで行ってきました。北です。この地域、市街地は雪国というほどでもないんですが、車で40分も走るとスキー場がある事を考えるとかなりの寒さです。 普段はしないマフラー、手袋と靴下は二枚重ね、セーター、タイツと装甲を完全に二重化(by戦場の絆)してもまだ寒い。というか寒いを通り越して痛い。まさに突き刺すような寒さというやつでした。路面は普通に凍ってるわ天気雪降るわ・・・ そう考えるとやっぱ東京は暖かいですね!戻ってきたらマフラー投げ捨ててコートの前全開でないと暑いくらい。まぁ日中で0度の国から夜でも3度の東京に戻ってきたら当たり前ですけども。 そんなわけで祖母の納骨式でした。浄土宗の風習なのか地方の風習なのかはわかりませんが散骨だったのにちょっとびっくり。最初は普通に骨壷のままお墓に入れるんですが、夫婦が揃って鬼籍に入ると二人分纏めて骨壷から出して撒くんですねぇ・・・骨を収める時我々もやらされるのがなんだかすごく切なかったです・・・こんなに小さくなっちゃって・・・という火葬場のアレをもう1回やるハメになるとは・・・本当に死んじゃったんだなぁ、と。 それにしても相変わらず親戚の人のお話が面白いです。今回は参勤交代の時に吉原で遊びまわるお殿様を諌めて疎まれ、切腹を命じられた人のお話でした。・・・ええ、まぁご先祖様なんですけど。・・・苦言を呈して酷い目に遭うのは血筋のようです。このお話、池波正太郎の小説にも出てくるそうで・・・水戸黄門だったらお殿様をやっつけて終わるんでしょうけどねぇ・・・史実はなんとも・・・ 2010/01/17(日曜日) 晴れ [ 感性の溝 ] 自分と違うモノ(物、者)に出会った場合 1:合わせる努力をする 2:自分に合わせてもらう 3:斬り捨てる といった選択肢があると思います。 2は相応の資格と努力が必要です。元来人と人とは違うもの。それをすり合わせるだけでも難しく、そこにさらに受け入れてもらうという作業が必要なわけで。そこまで口を出すというのはそれなりに親しくないと出来ませんし。 しかし私は多くの場合この手法を取ってきました。何故なら一番自分の精神が楽だから。付き合っていて苦痛でない(重いな・・・気楽に付き合える、くらいの表現でいいんじゃと自分でも思った)友人が出来るというのは幸せな事ですし。 その次に多く取ったのが残念ながら3です。どちらかといえば斬り捨てられた、という方が正しいのかもしれません。 高校までの自分は、かなり独特の価値観と世界観を持っているとみなされていたようで、2の過程で生まれた友人が自動的に私と合わないであろう人種を排除する動きを見せていました。あらゆる意味で危うい、と思われていたのでしょう。今だからそういう善意の形跡を見つけられるのですが。 ・・・しかし当時は普通に生きているつもりだったんですがねぇ。君子危うきに近寄らず、でそもそも寄ってくる人間も限られていた気がします。 一番ひどかったのはゲーセンでカツアゲをしてきた奴を当時の友人達が裏でリンチにしていた事件。何がひどいってカツアゲされた翌日普通に同じゲーセン行ってカツアゲ男と普通に友達になっていた私がひどい(リンチが起こったのはさらにその翌日)。極端な例ですが、私には誰とでも友達になれるスキル(但し野郎に限る)が生来備わっているのでそういう所も危うい、と思われたのかもしれません。 後これは高校3年の時の友人に諭されてから気を付けていた自分ルール「友達を知り合いと呼ばない」。 それまでの自分は親友以外は友達ではないと思っていたので、付き合いの浅い友人は知り合いと呼んでいました。それを見かねた当時のクラスメイトが「知り合いって言うなよ。友達だろ」って言ってくれまして。あれは沁みたなぁ。なんて良い奴なんだこいつ!と思った覚えがあります。それほど仲が良いわけでもない、ただのクラスメイトでしたがその一言がとても印象に残っています。元気でやってるかなぁ。 ・・・がまぁ気付くのが遅すぎたわけで。人をばっさりやるケースが多々ありました。反省してます。多分。恐らく。または(ぇー さてここで問題になるのが1。人に合わせる努力。 基本スタンスが力也方式(空気を読むんじゃない、変えるんだ)だった私としては一番苦手でした。今でも苦手です。 しかし。 Q.E.D(マガジンスペシャルで連載中)という漫画の33巻に、雑誌で勧められたから買った服や、流行っているという理由で買ったCDや、ヒットしているというだけで観た映画といった、自分でないものに部屋を占領されこの世から自分を消した男が出てくるのですが。まぁ彼が自殺したのには他にも理由があるんですがそれは割愛。 人に合わせる、という事はそういった危険性を孕んでいるのではないでしょうか。 人に勧められたからという理由で無理やり聴いた歌で心の安寧が得られるのか。 店員に勧められたというだけで買った服をまともに着こなせるのか。そもそもそんな服を着ている自分が嫌にならないのか。 流行っているというだけ・・・な映画なんてそもそも観ないからそれは別にいいんですが。 合わせる努力はするべきだと思います。 でもダメなものはダメ、嫌なものは嫌と言わないほうがダメかな、と。 誰かを傷つけたくないから言えない。わかります。 誰かに嫌われたくないから言わない。わかります。 でも言葉にしないと何も変わらないんだって。他人や周囲の環境だけじゃない、自分自身ですら。 全てを受け入れられるわけがない。他人が好きだからって自分も好きになれるわけがない。合わないものはどうしたって合わない。 何かを否定しないという事は、受け入れたフリをして受け流しているだけではないでしょうか。それが悪いとは思いません。むしろそれが出来る大人のほうが、社会人としては正しい。 でも自分にまで嘘を吐いてそれで何が変わるというのか。何も変わらないどころかむしろ悪化するんですよ。特に俺のような考えすぎる人間は。 食わず嫌いは良くない。そうかもしれません。でも食べてみて、さらにそれが嫌いになったら?勧めてきた人まで嫌いになりませんか?・・・なんてそこまで考えてたら流石に人と付き合えないので表には出さないんですが。人間嫌いここに極まれり。 そんなわけで今年の自分の目標は「言いたい事はぶちまける」に今決めました。だんまりを決め込んでも自分自身も、周囲の環境も何も変わりません。むしろ悪化するわけでして。気分も悪いしな! その上で俺を切り捨てるというのならどうぞご随意に。それくらいの覚悟は出来ております。 ただ電話帳から連絡先を消す作業がありますのでその際には一言お声がけを頂ければ、と存じます。 なんつってここを読んでる人なんて居ないから何も問題ないぜ!HAHAHA!という自虐でひとまず閉幕、っと。 2010/01/13(水曜日) 晴れ [ ルーンファクトリー ] 巷で噂のルーンファクトリー(牧場物語3)を買ってみました。 面白すぎる・・・止まりません。やれる事が多すぎて。まだゲーム内時間で1週間くらいですが、先が全く見えません。これはしばらく遊べそうです。一緒に買ったファンタシースターポータブルは開封すらしてないというのに! 戦場の絆。 タクラマカン砂漠(砂嵐、ミノフスキー粒子濃度50%)でした。やっぱりミノ粉散布戦闘は楽しい。レーダーは効きません。砂嵐のせいで視界も150mありません。一般的な近距離機体の射撃武器の射程が210mくらい。ブーストでの移動距離が140mちょっと。格闘誘導距離が64mなので目を離すとあっという間に距離を詰められて斬られてしまうのでなかなか難しい。逆に言えば不意打ちもし放題なため、相手の進行ルートを読むのが重要な感じ。まぁイベントが中止になった分の埋め合わせとしてボーナスが欲しかったですが・・・ 2010/01/11(月曜日) 晴れ [ IGLOO ] MS IGLOOを観てます。今までフル3DCGという事で敬遠してたんですが(3DのMSは良いとしても人物に耐えられる気がしなかったため)観てみるとちゃんとガンダムでした。素晴らしい。 それにしてもどうしてこう、ジオン軍人って奴はどいつもこいつもかっこいいのか。死に様が熱すぎる。現代のガンダムにはないよなぁあれ・・・ 宇宙世紀ではないガンダムでも人は死ぬんですが、殺し方をわかってない作品ばかりでなんとも。これは!と思った人物は東方不敗くらいじゃないでしょうか。思い返してみると本当UCではないガンダムで印象に残ってるの彼だけなんですよねぇ。 UCだと(映像化されたもので好きだったキャラだけでも)ガルマ・ザビ、ランバ・ラル、スレッガー・ロウ、ノリス・パッカード、バーナード・ワイズマン、アナベル・ガトー、ジェリド・メサ、ヘンケン・ベッケナー、エマ・シーン、エルピー・プル、ハマーン・カーン、アストナージ・メドッソ、アムロ・レイ、シャア・アズナブル、マリーダ・クルス、シュラク隊と相当な数挙げられるんですが・・・ 生き方が様になってないから死に様が輝かないんでしょうかねぇ・・・ 2010/01/10(日曜日) 晴れ [ けんきょなナイト ] 先日書いた『人を(一方的に)導くのが傲慢であるという自覚があるのなら共に歩む為に誰かを、或いは自分を変えるという意識を持つのも手かなと思いました。』という部分に対して「その若さでその事に気付けた貴方がうらやましい」という旨のコメントを40代の方から頂きました。 しかし気付けばもう27を目前にしているのでそう若くもありません・・・それに考える材料としてはずっと前から自分の中にあったのに、実感を持って実践出来るようになったのはつい最近ですし・・・もっと早く気付いていれば無用に他人を傷つける事もなかったろうに、と後悔ばかりが募ります。 でもきっと余程若いうちに気付かない限り絶対後悔はあるんでしょうけどねぇ。というか後悔する出来事があって初めて言葉が血肉となるので、どうしたって一度は痛い目に遭う人生の理不尽さ。 多分年上の方々ならわかると思うんですが、そういった経験があるから若い人にアドバイスをしていると思うんですよ。でも若さ故に伝わらないんですよねぇ。(聞く側が)実体験を伴わない言葉は届かない。これをどうするかが当面の課題でしょうか。・・・まぁやっぱり一度立ち直れる範囲で痛い目に遭ってもらう、というのが手っ取り早い気がするんですけども。 小田和正を紹介してくれたのは浪人時代の予備校の先生でした。50前くらいのおばちゃんだったなぁ。 正直中学以降の先生はあまり好きではなかったのですが、予備校の先生は皆好きだった気がします。今思い出しても何だか自由なんですよね彼ら。どういう生き方をしてきたらこういう風になれるんだろう、と当時は思ったものですが、今なら少しわかる気がします。 2010/01/09(土曜日) 晴れ [ おもろ! ] 俺の場合好き放題書いても怒られないこの場所を持ってるので本気の時はここに書く習慣があります。というか最初にmixiに招待して頂いた時にそのルールを作ったのに・・・それを破ったというか忘れていて痛い目に遭ったので自省も含めてここに再び記そうと思います。 誰かに(少しでも)読まれたらまずい事はここに書く。うん、徹底しよう・・・ 人を(一方的に)導くのが傲慢であるという自覚があるのなら共に歩む為に誰かを、或いは自分を変えるという意識を持つのも手かなと思いました。『貴方の時代が終わったわけじゃなく貴方が私と歩こうとしないだけ』という小田和正(オフコースだったかな)の歌がありまして。 何にしても近頃人と会うと考える材料をいっぱい貰えるので楽しくて仕方ないです。そういう意味では某えーすけさん家は良い環境だなぁと羨ましく。男3人暮らしで、都内で3LDKと気兼ねなく遊びに行ける環境なため人が一杯来るそうで。 あーOFFやりたいなぁ。あんまり変わっていないといえばいない自分ですが、それでもだいぶ成長した部分はあると思うので、今の俺があの頃の人達と会ったらどういう会話をするのだろう、出来るのだろうと楽しみです。実現する可能性は低くとも、いつかはやりたいものです。 2010/01/08(金曜日) 晴れ [ その手があったか! ] 読んで欲しい人に読んで貰った後で日記を消す(というか非公開にしたのかな)。その発想はありませんでした。・・・或いは読まれちゃマズい奴に読まれた!の方かもしれませんが。 面白かったのでレスしよう、でも携帯で文章を書きたくないから明日にしようと思ってたら記事そのものが消滅してたオチ。まさに『明日ありと 思う心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは』ですね。 考えてみると書いたものを消した事は一度もないなぁ。トラブル起こした記事も、怒られた記事も、それに寄せられたコメントも、全部そのまま取ってあります。それが新たな災いや波乱を呼ぶ事もあるというかあったわけですが、懲りずにそのままにしてあります。吐いた唾は飲まねぇよみたいな。ダメな子ですねすいません。構造上ここなんかだと消すのがめどいのもありますが。 ただまぁ、そういったものも全部ひっくるめて自分の糧としていくくらいの度量を持たないとダメかな、と。気恥ずかしさもあります、後で読み返してゴロゴロ転がる事も多々あります。 でも何年も経ってから読み返してみると面白いもんでして。若さや未熟さや粗さが見てとれても、たしかにそこに居た自分が見えてきますし。 そんな日記を消した友人に向けてこんな事を書きました。 別に傲慢でもいいと思います。全ての行為は善意から生まれていると信じていますし。自分が思っているほど独善的には見えないものです。歯ブラシの話(同居人が歯ブラシを風呂場に持ち込む人で、それが嫌。何が嫌かってシャワーを浴びた自分の飛沫を同居人の歯ブラシに浴びせてしまい、それを使わせてしまうのが嫌というお話。風呂場で歯を磨く人が嫌なのではなく、自分の行為が自分の所為ではなくとも他人に迷惑をかけるのが嫌という発想)を聞いた時になるほどなーこういう人なのかーと思いましたし。それくらいの事がわかる程度には長い付き合いになったんだなぁとちょっとびっくりしますが。 それに傲慢を司る悪魔といえば明けの明星ルシファー。似合ってるじゃないですk・・・という冗談はさておき。 後はそれを望まない人に押し付けない事、自分の目的のために人と喧嘩しない事じゃないでしょうか。余計なお世話ですが・・・ とこんなような事を書きたくなる程度には割と押し付けがましいといいますか、「何で俺の言う通りに生きないのか!」とか言いそうなタイプなわけですが。悪い人ではないだけに惜しいのですよ。 そんなわけで人を導く事の難しさを日々実感しております。押し付けるでもなく、諭すでもなく、本当は自分の背中で語れるくらいにならないといけないんでしょうけどねぇ。 2010/01/07(木曜日) 晴れ [ ノーカット ] 実は俺の日記は同じような内容でも他所(mixiとか)ではけっこう省略というかカットして書き込んだりしています。色々書いた後で公開できない内容だという事に気付くパターンが多々。 今日の場合は他所様の思考パターン、価値観、哲学の部分。俺の考え方をぶち撒ける分にはいいんですが、他人の考え方をおいそれとひけらかす訳にはいかないわけでして。その人を直接知っていれば「ああ、そういう事平気で言いそう。でも本当は良い人だしね」で済む内容であっても、知らない人から見れば「何だこいつ」になるわけでして。・・・これは自分にもそのまま当てはまりまりそうですけども。 『自分の頭だけで考えるな!』という言葉の意味がようやくわかった気がします。 自分の価値観が全てではないですし、相手の価値観もまた正しいとは限らない。 問題はその違いをどうすり合わせていくのか。 そしてその過程でどう人を怒らせず、きちんと話を聞いてもらえるように説得していくのか、そして自身も冷静に、かつ思いやりをもって対処していくのか。 まさに『憎しみを燃やす血を吐き出せ』ですよ。『怒りの結果は原因よりも遥かに大事である』ですよ。 馬鹿に合わせて馬鹿な事を書くと自分も馬鹿になるんじゃないかと思っていましたが違うのかもしれません。馬鹿を説得出来ないのは自分の知識が浅いから、と言われました。ただ、これは平易な言葉や喩えだと「その表現では俺の言いたい事とは違う。語弊が生じる」という部分もあるので一概に良し悪しは言えません。そうは言っても妥協は必要なんでしょうねぇ。落としどころというか。でも基本的に常用漢字しか使ってないんだけどなぁ。 自分の弱いところ、ダメなところ、かわいいところがないと人に愛されない、と言われました。そういう部分を上手く見せていかないと、と。女の子と部下に対してはそういうスタンスではないかと言われました。逆に対等な相手、目上の人間には厳しい自分を見せていく。 自分は真逆をやっていたのかもしれません。年下や女の子から見ると変に格好を付けようとしているからなんだか硬い人間に見える。正論ばかりで冗談が通じないように見える。弱い部分が見えないから、他人にも厳しく見える。 年上には好かれます。当たり前なんですが、俺より頭が良い人が多いため、ちゃんと色々な事をわかってくれます。ダメな部分を曝け出してもわかってもらえるから甘えられるし、学べる部分も多いし、苦労した分だけ教えてくれようとしてくれるし。何よりやっぱり年下は無条件で可愛いので可愛がってもらえるんですよねぇ。お爺ちゃんと孫的な。 そういう部分をもっと自分より下の人間(by先輩。部下も女の子も基本的に自分より格下であるらしい)にも見せていかないといけないのかもしれません。 『他人の俺達には見せない本当の姿だろ?・・・それって家族じゃないか』。俺は相当親しい人にしか見せない部分が多すぎるのかもしれません。 というか結局こういう部分って、コミュニケーション不足が原因なんでしょうねぇ。最大の問題は興味のない人間にはとことん冷たい自分自身なのかもしれません。 2010/01/06(水曜日) 晴れ [ 良いものは良い ] 色々な人から教えて貰って興味を持った音楽を纏めてレンタルしたり買ったりしてみました。 スキマスイッチ 全力少年はラジオで聴いて「いいなこれ」と思ってたので歌えるようになりたかったのです。HOMEMADE家族の少年ハートも好きで、やっぱりこー、少年の感性と繊細さは大事だなーと。あんまり繊細だと生きていけないんですが。 コブクロ カラオケで歌ってるの人のが良かったのでCALLINGを借りてみた。うん、やっぱり原曲も良い。忌野清志郎さんか・・・惜しい人を亡くしました。自分の中で死ぬ前に一度生で歌を聴いてみたかった人の一人でした。他には?・・・日本人だと迷わず美空ひばりと尾崎豊と答えます。まだ生きている人だとムッシュかまやつも一度会ってみたいなぁ・・・あの人の歌は歌詞はけっこうシリアスなのに、歌い方が気楽な感じで、喜びも悲しみも全部ひっくるめて「感じるままに生きればそれでいいんだよ」って言われてる気がして好きです。 EGO-WRAPPIN' 飲み会で話題に上ってたのでげふげふしてみました。ジャズテイストの渋い感じ。ONOFF激しいよなぁ・・・これはちょっと自分で歌うのは難しそうです。 ミスチル 今更SUPER MARKET FANTASY。昔から好きだったのでこれは自発的に。割と多くの人同様ニシエヒガシエから少し距離を置いたクチでしたが、また良くなったかな。 中川翔子 好き嫌いはさておき、すごい子だと思います。オタクで、アイドルで、歌えて、漫画まで描けて・・・コピックの使い方がプロ並ですし。新世代だよなぁ。 ROUND TABLE feat.nino(トップ2のOPとか)のほうが今や有名かもしれませんが、昔の雰囲気も良いです。これも割とジャズだなぁ。ライトポップ寄りの。 2010/01/04(月曜日) 晴れ [ すれ違い新年 ] 自転車で近所を走っていたらセリカXXとすれ違いました。「珍しいなぁ。赤のXXかぁ。頑張ってるなぁ・・・あれ?あのナンバー・・・あ、手振ってる!」 自動車部の先輩本人でした。そりゃ都内近郊でそうそうあのクラスのレア車(1986年生産終了)とすれ違うわけないですしねぇ。 我が家は基本的に車検切れの2年ごとに中古で車を売って中古で車を買うスタイルです。なので一つの車に最高でも6年しか乗った事がありません。そういう身からすると同じ車にずっと乗るのもかっこいいなぁと思いました。 とはいえバブル期のトヨタ車で、出来が良いからいまだに乗れる、という所はあるんでしょうけどねぇ。今の車は多分そんなにもたない・・・ 2010/01/02(土曜日) 晴れ [ 本年もよろしくお願い致します ] 喪中につき新年の挨拶は控えさせて頂きますが。 フォアローゼスのジンジャーエルを飲みながらBS熱中夜話のアニソンの回(前後編両方)を見ていたらこんな時間に。うーんやっぱ熱いわぁ。ゲストが水木一郎アニキと福山芳樹だもんなぁ。田中公平も大好きですし。 水木一郎といえば俺の中ではグレートマジンガーとゴーショーグン。あの独特のシャウトは・・・!何かずるい!それにしても持ち歌1200曲ってすげーなぁ・・・ 田中公平といえばサクラ大戦が有名ですが、俺のイメージはガンバスターのテーマ。発進、未完の最終兵器の登場シーンのあれ。後ガンダム08小隊の次回予告。熱い。熱すぎる。戦場の絆の敗北時のBGMになっていてたまりません。陸戦ガンダムやEz-8使って負けるとグッと来ます。 福山芳樹は言わずと知れたFireBomber。裏声を使わずにどうしてあの高さの声が出るんだ!当時から驚いたものですが・・・真っ赤な誓いもやっぱり良いですねぇ。 惜しむらくは・・・どうせならTRY AGAINあたりをMay'nとデュエットして欲しかったというのはありますが。やっぱりダイヤモンドクレバスには思い入れがあったんですね。印象に残る曲というのは歌うほうにも感慨があるようです。 しかしああいう番組をNHKが作るというのに時代を感じるなぁ。NHKでないと予算的に作れない、とも言えますが。そして菅野よう子は来てくれなかったのね・・・ ・・・新年早々何という書き出し。先が思いやられます。まぁいいですが! 2010/01/01(金曜日)