夢と幻 思想堂を更新するのはどれくらいぶりだろうか?ここのところ哲学を語る場は 日記のほうに用意されていたためにここはまったく更新していなかったが たまにはひとつ題(テーマ)を決めて書いてみようと思う。 自己紹介を更新がてら書いてみた「老人は夢をみた、若者は幻をみた」という言葉。まずはこれの 解釈から説明しよう。 つまりは・・・経験豊かな老人達は実現可能なもの・・・夢を見るが、若者達はその経験のなさから くる浅はかさ故にありえないもの・・・幻を見る・・・そういった言葉だ。 先日喫茶店で時間をつぶしていたところ、老人達が集まって会話をしているのに出くわした。 だが、その内容はとても高度なものとは言い難く、かつ論理性も感じられなかった。 率直に言ってしまえば「ボケ」ているのであろう。ボケというものはある種私は現代病であると 思う。 20世紀前半までの平均寿命は高く見積もっても40代前半であったという。この原因はおそらく 戦争のせいだろう。 現代においては人生80年と言われる、つまり半世紀前から考えれば40年も人が生きられる時間は 伸びたのだ。 このことによって今度はボケという問題に人類は直面する。そう、現代の老人はもはや正常な思考 能力を持たないようになっているのだ。もちろん一部の例外は除くが。 このことを根拠に私は現代は老人が幻をみる時代だと定義する。つまり、昔「夢」をみることの 出来た年代をせいぜい50代と考えているわけだ。 では、若者はどうか?・・・残念ながらどんなに人類が文化的に進化を遂げても若者は永遠に幻を 見つづけることになるであろう。 だが、悲しむことはない。その愚かさこそが大事なものなのだ。人が死んだ時点でわずかな「記憶」 しか子孫に伝ええない人類にとってそれは当たり前のことだ。むしろそうしたわずかな「記憶」の中 から我々はこれだけの進化をしてこれたのだ、すばらしいことだとは思わないか? いつの日か、自分の持つ「記憶」を全て次の世代に伝える方法が出来るだろう。その時こそ・・・ 人類はその無限の精神に打ち込まれた肉体という楔を解き放つことができる。私はそう確信している。