はじめに この論文の著作権は私J.T或いは高柳順一にあります。無断転載等は禁止です。 この文章へのヒントを与えていただいた古井由吉、芦奈野ひとし両氏へ・・・ 記憶。それは時として現実以上のリアリティをもって自分の心に語りかけてくる。 もう忘れたと思っていた小学校の唱歌、昔習っていたそろばんの音・・・ どれもその当時は意識しなかったが、声変わりし、PCを使うようになった今では もう聞くことのない、その"時代"の音だったと思う。 その時代の人間にはあまり気にかけられず、しかし最もよくその時代を表すもの。 東京の銀座という土地に生まれ育った私はバブル期の繁栄、そして崩壊というひとつの 時代の黄昏を見てきた。次々と会社が消え、テナント募集の張り紙が世間を飛び交う。 そんな中無人のビルでかくれんぼをしたり、わずかに空の見える空き地で野球をしたり・・・ 今ではそれらの場所も新しい入居者が居たり駐車場になったりしてしまったが、そこに 響いた私達の"音"を忘れることはないだろう。 コンクリートジャングルで育った私にとってはその無機質さが心地よく、私の心の"音"とは そうした場所に響くものだ。その無機質さが嫌いな者も多いが、私にとってはたしかにそこが 故郷なのである。コンクリートは外界の音の質を変えてくれる。無機質さが苦手なものは そのことに気付かないらしいが私には近くを走る車の音すら子守唄に聞こえる。 私はおかしいのかもしれない。だがこの脳の雑なフォロー具合は好きである。 自分自身というものを作り上げるのに、個人的、私秘的な経験がいかに潜在的に機能している かがわかるからである。心の音は人の数だけある。 そしてそのことによって自然と心の音というものも独自のものとなる。なればこそ、 他者の心とのハーモニーが奏でられるのである。自分にないものが得られるのである。 この相互理解のひとつの可能性を否定するのは間違っている。 ここまでは"音"の記憶に特化した書き方をしたが、時代をよく表すのは何も音だけではない。 視覚風景、そして匂い、或いは臭いもそうである。 私はひとつ時代の黄昏を見てきた。その中にはその時しか見られない「旬」の 風景というものもあったと思う。たとえば汐留遺跡。そこは現在は高層ビルの立ち並ぶ近未来都市 になってしまったが、私が中学に通っていたころにはまだ空き地だった。 その当時から建設計画はあったのだが、地質調査のためにボーリング(試験掘削)を行った ところたまたま石器時代の遺跡、江戸時代の武家屋敷の跡、明治時代の旧新橋駅の跡等が続々 と出てきてしまいその調査のために3年ほど何もなかった事があったのである。 自転車であてのない旅に出るのが趣味だった私はよくその周辺をぶらぶらとしていた。 何もないのに何かある風景・・・いや、何かが"あった"風景。人間の想像力をかきたてる 素晴らしい場所だった。それが消えた時だけは無機質なビル郡を恨んだ。 最後ににおいについて話そう。 臭いと聞いて思いついたのは、あのなんでもごたまぜにして燃やしていた小学校の 焼却炉であった。今ではダイオキシンだなんだとすっかり嗅ぐことのできなくなった臭い。 決していい匂いとは言い難いが、生活感のない講義室よりはいい(私はこの文章を予備校の 教室で書いていた)。何もないよりは。においのない街並みは一見身体に良さそうだが、 私はドブ川の臭い、池袋地下街に漂う独特の臭い、ダルマストーブの焼ける臭い・・・ そしてなにより人々の生きる"におい"が好きである。 今、貴方にはどんな記憶が思い起こされているだろうか。私には廃校になった母校のハクモクレン の香りとその古びた校舎、旧き友人の声が"立ち現れ"ている。 今、貴方はどんな時代を見ているだろうか。私にはマルボロの匂いと 慣れ親しんだ自分の部屋、長年使いこんだPCの作動音が"立ち現れ"ている。 願わくば、貴方の心も現実であれ追憶であれ時代の"音"と"風景"と"におい"に満ちていることを。